友人ふたりと会った。12月に会うと忘年会らしきものになる。
友人のひとりは、認知症の実母を介護する日々を送っている。92歳になる母親がショートステイに行ったので、ようやく時間が取れたのだった。
92歳とはいえ、足腰がしっかりしたおばあさんで、しっかりしてるがゆえに徘徊するので、介護するほうがこまるのだという。
理屈が通らぬ不具合の多い行動に振り回される日々だ。他人が聞けば笑い話のようなことも、実母が壊れていく姿に24時間立ち会う娘にとっては、どれも笑い事ではすまされない。嫁の立場とは違う辛さがある。嫁いだ他の姉妹たちに対する不満も多い。
朝から家のなかを歩き回っているくせに、いざショートステイに出かけようとすると動けないと言い張る。施設へ送っていってくれる姉と彼女にむかって、「わたしは寝てるから、あなたたちが行ってきてよ」と言う。わたしたちが行ってどうするのよ、と苛立ちもする。
いくらきいても尽きない話だった。
「あの姿みると、自分も長生きしたくないと思うわ。迷惑かけるだけだもん」そんな言葉をかなしく聞いた。離婚し、働きながら一人息子を育ててきた彼女は「息子にこんな思いさせたくないから」とも言う。
そんな彼女は健康で、もうひとりの友人とわたしは病気をして、生きるために少なくない犠牲を払ってきている。失くしたものが生活の質を低下させてもいる。再発をこころのどこかで恐れ、定期的に病院に通って検査を受けてもいる。
なのに、その果てに待っているものは、なんと哀しいのだろう。じぶんたちにも姑がいて、その老いてゆがんでいく姿に眉をひそめながら、自分もまたその姿をなぞっていくにちがいないのだという思いは、生きるということの意味をほろ苦くさせる。
ひとの終りといのちの終りが異なることの哀しさがある。もうそこにいるのは、ひとの母ではなく、何者でもないただ生きながらえるだけのいのちになってしまっているように思えてくる。散り残ったわくらばのような時間だ。
「入浴サービスに来る人が、身体にあざを作っている老人が少なくないと言っていた」と彼女が言う。介護する人間の忍耐力にも限りがあるということだろう。言っても言っても聞かず同じことをくりかえす子供より手に負えない母に対して、彼女のなかでも感情が爆発して、思わず手が出そうになることもあるらしい。それでも「おたくのおばあちゃんはきれいな身体ね」って言われたのだと誇らしげに言った。
知らず知らずに傾聴ボランティアをしていた。習ったことが役に立つということだ。いや、というか、このメンバーだと、いつもそういうポジションについてしまう。
「そう、そう、そうなの、たいへんね、つらいね、くやしいね、ほんと頭にくるわね」そんな相槌を打つ。どんなたいへんなことが彼女にあっても、あたしにはそんなふうに、こころを添わせることしかできない。
それでも「なんでわたしだけが、って思うのよ」と彼女が言ったときは、口を挟んだ。
「なんで自分だけがこんな目にあうのかと思ったら負けだよ」とわたしは言った。それは自分に言い聞かせる言葉でもある。天を仰ぎ呪っても、何も変わりはしない。
「それはそうだけど、自分には姉たちがいて、彼女たちのほうが母には良くしてもらってきたのに、なんで経済的にも苦しい自分だけが母の面倒みなくちゃならないかと思うのよ」と彼女は重ねて言った。
姉妹だからといって同じ考えをするわけでなく、よじれた肉親関係はより始末が悪い。血のつながりが視界を曇らせる。「そうかあ、こまったおねえさんたちだね」と言うしかない。
抱えている問題はそれぞれにあって、それぞれに重たくて、どれも一朝一夕に解決することではないことをそれぞれがわかりきっているから、互いをおもんばかって連続する暮らしの時間のなかにこんなふうな風穴を開ける。これまでもそうしてきたし、これからもまたそうするだろう。
そして、これで何かが解決するわけではないこともそれぞれがちゃんと知っている。
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