叔父が亡くなったと聞いて、驚きはしたのだが思ったよりもこころが波立たなかった。
92歳まで元気で生きたのだから、とどこかで思っていたのかもしれない。
ところが、このサイトの「たいせつ」を読み直している途中で涙がこぼれた。
あの日の叔父の様子が目に浮かんだ。
ちょっと甲高い声が聞こえるような気もした。
もう、叔父には二度と会えない。
今日、従姉妹のケータイに電話をした。
「わたしのなかでは、おじちゃんはまだ庭仕事したはるねん」
悔やみのことばの最後にそういうと従姉妹は
「そやな~。ほんまに元気やったんや。
それでも、あの時、おうといてもろてよかったわ。
具合の悪い姿やのうて、元気な姿、おぼえててもらえるし」
と言った。
「うん」と答えると涙がこぼれた。
その姿をわたしはずっと忘れないだろうなと思う。
そばにいた叔母に変わってもらった。
「おっちゃん、いってしまわはったんや」
叔母の声が枯れていた。たくさん泣いたに違いない。
「そやてなあ。どうしゃはったん?」
「急に足がえらい腫れてなあ、ほんで入院しゃはってんけど
あかんかってなあ・・・逝ってしまわはったんや」
「残念やったなあ」
「そやけど、92の年まで元気で生きてくりゃはったし、もう、そういう年や」
「そうかなあ。・・・わたし、お葬式、いかれへんで、ごめんな」
「かまへんかまへん。といとこやもん」
「暮れにいくし。」
「かまへんで。それよりあんたもげんきでな」
「おばちゃんもな」
案じているのに、逆に案じてもらってしまう。
いつまでたってもおとなになれないような気がしてしまう。
叔父が亡くなった日、訃報を聞いた日の前日
わたしは厚手のセーターやオーバーなどの大きな冬物を出していた。
もう何年も出さなかった黒いオーバーをどういうわけか今年は出していた。
嫁入り支度で喪服といっしょに誂えたものだ。
まだ入るかしらと袖を通し、ちょっときついなあと嘆いたりしていたのだ。
こんなことがあるなんて夢にもおもっていなかったのに
そのオーバーはクローゼットに下がっている。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう