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カテゴリ:エッセイ
年若い友人に会いに吉祥寺へいきました。
吉祥寺は彼女の育ったところでもありました。 こちらはぶあんないな土地なので頼もしくその後に続きました。 今は別のところに住む彼女のくりくりとかわいい眸には 現在の風景と遠い日のものがダブります。 高い建物がなにもなくて パルコのあるあたりではたまごの量り売りをしていたそうで おばちゃんがおがくずのなかから赤玉をとりだして 何個でも計ってくれるのでした。 なかまち通りというのは昔は寂れていて そこに店がでると必ずつぶれるというジンクスまであったとか。 そんな話を聞きながらその通りの地下にある 「南天」という居酒屋さんに入りました。 こじんまりとした家庭的な雰囲気のお店です。 かつてアニメのお仕事をしていたという すこし儚げな女店主と 色白で長髪をきちんと束ねた にこやかな若い男性のふたりが 狭いカウンターのなかで立ち働きます。 彼女と会うのは一年ぶりでしょうか。 昨年は田園のオヤジさんを交えて大いに盛り上がったのでした。 (********以下の通り) そしてこれが2回目です。 夏の始まりの頃からのお約束でした。 「夏の終わりに会いましょう」 ずっと楽しみにして待った時間でした。 年は離れているのに そばに居て、とても居心地がよくて 何を話してもなんだか愉快で笑顔になります。 ビールで乾杯して一口飲んで「くー、おいしい」と唸り そのことをふふふ、と笑いあって 兵庫出身だという女店主の作る てんでだけどどれも古風な食器に盛られた 秋刀魚の塩焼きや鳥皮のから揚げ、 卵焼きにエリンギとえのきのてんぷらを ふたりで分け合って 思わず「おいしいー」と声をあげ 彼女は焼酎をわたしは冷酒を 心地よくくくくと空け 最後に稲庭うどん風の ジャージャー麺をいただいたのでした。 それらもとても美味しいものでしたが なにより音楽に携わっている彼女の これからの活動への美しい決意がわたしにはご馳走でした。 彼女の指先まできっちり力が行き届く感じの手を見て その手が切り開いていく世界を思い 彼女の希望が叶うことを願いました。 すごいすごいと感心し がんばれがんばれと応援する。 そんなことしかわたしにはできないのだけれど・・・ かわいいひとなのです。 媚びるかわいさではなく純なかわいさ。 人生のどこかで大きな失くしものをして うつむくこともあっただろうけれど それでもすっくり背骨を伸ばして 自分に出来ることを探り当てて その道筋を辿っていく、その姿に感動します。 彼女はわたし、文、がブログに書いた言葉に 何度も励まされたと言います。 こころに残る言葉がいくつもある、と。 それはなんともうれしいことでした。 自分の為していることの意味が少しはあるんだって 言ってもらったような気がしたのでした。 ふたりで食べた秋刀魚 わたしが食べ散らかしたあと 彼女はとてもきれいに食べました。 彼女のあたりまえが好ましく思えたのでした。 酔いが回ってきて 何を聞いて何をしゃべったのか 記憶も定かではないのだけれど 言葉を交わすほどになんだかうれしくなってくるのでした。 もっともっとと思うのでした。 お開きにして駅のホームで別れるとき 電車に乗ったわたしに向かって 彼女は90度のお辞儀を何度も何度も繰り返すのでした。 走り始めた電車から見つめるその姿が胸に痛くて 涙が出そうになったのでした。 そして 「わたしはあなたがだいすきです」 そんな言葉をつぶやいたのでした。 **************** 2007年6月のこと 出会った瞬間に構えがほどけてしまうひとがいる。 今までにも何人かそういう飾りのない こころとろかす魔法使いのようなひとに会ってきた。 12日の夕刻駅の改札口であったそのひとも そんな笑顔の持ち主だった。 貸切状態になった田園のおやじさんの店で そのひととおやじさんと三人で 美味しいホヤなんてつまんで 話は文学から芸能から江戸っ子の粋にいたるまで 多いに盛り上がり 例によってなんだかいっぱいいっぱい驚いて (おやじさん、浅草の新門なんとかさんと友達なんだとか) いたく感心して、しかも笑いころけて もうもう気持ちよく酩酊で それからなにを話したかも定かではないのだけれど 新たな文袋に冊子を入れたのを渡すと そのひとが大事そうにそれを胸に抱いてくれたこと なんだかそれがものすごくうれしかったことは忘れない。 ひとつのことに打ち込んできた人の目線の高さ 視野の広がり、気持ちの潔さに打たれた時間だった。 帰り道、わたしの足は千鳥足だった。 ふわふわしながら 「いいおんなだねえ~」なんて独りごちていた ********* お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.09.07 08:01:33
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