かすみがかったような色彩のその葉書には
地下の店に続く細い階段の前で
頭を下げるエプロン姿の女店主の写真が映っている。
足元のあたりに、こちらはくっきりとした
「閉店いたします」の文字。
「今年15年目を迎えましたが、七月十九日をもって
閉店いたします。永らくお世話になりました。
皆様本当に有り難うございました」
と言葉が続き、店主と従業員の名前がある。
店の名前は「南天」
ありかは武蔵野市吉祥寺本町2-10-2
この店はかつて
こんなふうに書いた。
そう、年わかい友人Mさんに連れて行ってもらった店だ。
Mさんの思い出がたくさん潜んだ店。
そこが閉店する。なくなってしまう。
さぞかし残念なことだろう。
お誘いを受けて金曜日に出かけた。
地下の店の引き戸をあけると
この前と同じように、
さらりと常温で迎えられた。
あのときのように
従業員のカズさんが注ぐ美味しいお酒と
女店主の手になるご馳走をいただいた。
万願寺唐辛子とじゃこの煮物
卵焼き・鶏肉とたまごの煮物
鮭のハラス・ピリ辛の焼きソバ
・・・だったかな。
目の前に、ガス台に向かう女店主の背中が見える。
前かがみになる細いからだ、
小さく動く細い腕。
無駄のない動線。
迷いのない動き、手順。
その背中を見つめながら、15年という時間を思う。
そして「もてなす」ということを思う。
「おいしいものを食べさせてあげたい」
そんな声が聞こえてきそうな背中。
寄りかかったり媚びたり御愛想したりしない背中。
細い腕がすっと差し出す
ひと椀、ひと皿がおもてなし。
そしてカズ君のまっすぐな目線、
ほのあたたかな笑みとうなづきもまた
この店のおもてなしなのかもしれない。
「これから、どうなさるんですか?」
それを訊いてどうなるものでもないのだけれど
たった2度しか来ていないのに
それが気がかりだったりする。
マイナスのことばかり考えてしまう。
「なにしましょうか。
まだ、なにも考えてない・・・」
それがふたりの答えだった。
ふわりとした言葉だった。
閉店までの日々は
ここまできた時間を振り返る
ふわりとした時間であるのかもしれない。
飲むほどに、Mさんとの会話は盛り上がり
なんだか幸せだなと思ったりした帰り際
でも、この店はもうなくなってしまうのだと思い出し
首筋のあたりがひやりとした。
「2度しか来てないのですが
ありがとうございました」というと
「ああ、覚えてますよ」と店主が言った。
ああ、そういうお店なのだと改めて思い
なのに、なのか、だから、なのかわからないが
もうすぐ、このお店はなくなってしまう。
また、どこかでこの赤い南天の実がなればいいなあ、
と思いながら、地上への続く階段を登った。