金平糖の真ん中にあるのは芥子の実だ。
そいつをころころ転がして砂糖をまとわせて
あんなふうなとんがりをこしらえる。
芥子の実がなければ、
そんなふうにはならないんだろうな。
それは、当たり前に見えて
なんかすげえなと思うことのひとつだ。
楽天日記の記入率が30パーセントを切ってしまって
これはいかんな、と思った。
いや、何も書いていないわけではないのだが
書いたものはあちこちに散らばっていて
ここではそういうことになってしまってる。
いろんな店のポイントカードのように
用途別ブログをいくつか持っている。
写真用、とか、文袋用、とか、いろんなひとのこと、とか
ミクシィとか、あと、ひみつの、とか。ははは。
そんなにいろいろやって
なんて暇だったんだろうねえ、わたしは
と思ってしまうのは
自分が文袋を作り始めて、
ここのところ、それはもう熱心で
なにしろ売るほど作っていて
ネットに振り分ける時間が少なくなってきたからだろうな。
文袋屋をやるっていうのは
ただ単純に手を動かしている、というだけでなく
あれをこうして、と自分なりの意匠を思案して
そこから販売に至るまでのことをひとりでするわけで
それをこの不器用でめぐりの悪い文さんがやってるわけで
試行錯誤の時間を含めて、なんだか忙しい。
と、物理的な時間配分からも
精神世界からも、作文は遠景に遠ざかる。
どのブログもインターバルが長い。
なにしろ、頭の構造が変わってくるのだ。
作文頭から文袋頭へ。
あれしてこれして、あれしてこれして・・・
嘘みたい。
忘れぬようにと書き留めることと
作文書いてやる!という攻撃的な思いで書くものは
意味がちがう。
小説なんぞは、いよいよ。
「文の文」に書くものはどちらかというと、
文章に仕立て上げると目論んで書いてきたつもりだから
文袋頭になるとそういう言葉の構築がうまくいかない。
なんかものすごい阿呆になってしまったような気さえしてしまう。
たかがブログなのに
なにもそんなにムキになって書くこともないのにね
と苦笑したくなるのだが
たぶん、自分の書いたものに自分が失望してしまうのが
いやなんだろう、と思う。
・・・しょってるなあ・・・
ともかくも自分にとって作文を書くってことは
自分の背骨の何番目かなんだって思ってたわけで
ま、それしか取り得がないと思ってたりもしたわけで
それが自分の背骨には文袋もあるんだと思えたら
なんかふっと気持ちが楽にもなったんだな。
作文って自分を追い詰めるとこがあるもんな。
しんどくもなるって。
じゃ、作文書くの、どうするの、と聞かれたら
なんて答えよう、と思案して
冒頭の芥子の実が浮んだ。
作文には芥子の実が必要なんだと思うわけだ。
芥子の実、めっけたら、ガンガン書くよ。
いっぱい書くよ。たぶん。
・・・なんて、長い言い訳なんだ!!!!
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Last updated
2009.09.22 11:39:25
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