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テーマ:愛犬との今日の出来事(3459)
カテゴリ:お知らせ
悲しい知らせをしなくては、ならない。 ブル太郎日記が終わりを迎えることになった。 12月16日、日曜日、ブル太郎が死んでしまった。 私は仕事で8、9日と宮崎にいった。 10日、羽田からバスで聖蹟桜ヶ丘まで戻ってくると、京王線が不通になっていた。人身事故のせいだった。 11日は友人の会社のゴルフコンペがあり、ゲストで参加することになっている。 東京よみうりまでは事務所からタクシーでも行ける。 それで、自宅には戻らず、事務所にいった。この夜は外には出かけず、ひとりで事務所で過ごした。 ブル太郎にしばらく会っていないので、会いたいと思いながら酒を呑んだ。 翌朝、タクシーでゴルフ場にいき、帰りは4時半頃になった。 事務所に6時頃までいて、「K」に久し振りに呑みに行った。 そのまま11頃までのんで、家に帰った。 家でブル太郎の迎えがなく、どうしたのかと思って居間を覗くと、ブル太郎が真っ白な顔をして、ソファに座っていた。顔が歪んで見えた。 どうしたのだ、と家人に訊くと、家人が仕事に出た後、ブル太郎は台所のドアから外に出たらしい。それが5時頃ではないかという。 外に出たブル太郎は、ひとりでは家の中に入ることはできない。 寒く、雨模様の暗い中、ブル太郎は3時間近くなきつづけていたらしい。 母は退院以来、さらに身体がよわっていて、ベッドで寝ている。 犬のなく声がよく聞こえなかったらしい。 家人が帰ってきたのは8時近く。 異常な声で吠えるブル太郎を知って、大慌てで台所のドアを開いて中に入れたが、ブル太郎はぐったりして、なき声ももらすことはなかったという。温めて、世話をしたが、明らかに異常なので、病院に電話をした。 しかし、いつもの病院は留守電話になっていて、ただおろおろしていたようだ。 ブル太郎はぐったりしていた。 ソファで寝たがいつもと全然違って、まるで死んだように鎮まっていた。 私は午前3時までブル太郎の身体をさすっていた。足が冷たかった。本当にこのまま死んでしまうような気がして、少し泣いた。 午前5時になって救急病院が見つかったので、ブル太郎を連れて行きたいと、家人がいってきた。いったん起きて様子をみた。たしかに危ない感じだったが、様子のわからない救急病院に連れて行くことに不安を感じたので、9時まで待とうと私はいった。 翌朝、一番でブル太郎を病院に連れて行った。 老犬で身体が弱っていたところへ、肺炎になった。 気管も苦しくなっていた。 先月、睾丸に悪性腫瘍ができていて、そのために去勢をしたが、その後、ブル太郎は元気がなくなっていた。寒さのせいかと思っていた。 そのまま入院した。 翌日見に行ったが、ブル太郎は喘ぐように息をするばかりで、こちらには反応はなかった。 その次の日、13日には、こちらが分かって、酸素室の中で立ち上がった。点滴が痛々しかった。しかし、すぐに横になった。 餌はいっさい食べずにいると聞いて、胸がふさがった。 金曜日には少し元気になっていた。だが、餌は食べておらず、立つのが苦しそうだった。 土曜日にいくと、顔を寄せてきた。だが、餌はほとんど食べないという。 院長が、明日一日、家に連れて帰ってもいいといった。 このままこの酸素室に入れていても、回復しないまま、死んでしまう、という意味が含まれているようだった。 16日、日曜日。 朝、ブル太郎を迎えにいく。 酸素室からよろよろ出てくる。自分で歩いた。車まで院長が運んでくれる。 ブル太郎が私の膝にアゴを乗せている。ときどき目を開けて、外をみていた。 家の石段をブル太郎を抱いて上ることができない。自分のふがいなさに、腹が立った。 家人と抱くようにして、ブル太郎を玄関にいれる。 母が出てきて「ブルちゃん、よかった、帰ってきたのね」といって涙を流す。 ブル太郎は居間に入り、絨毯の上に腹這いになる。 やがて、水を飲み出す。パンをあげたが、顔をそむけた。 大好きな座卓の下にもぐり込み、寝息をたてだす。 絨毯があたたかく、すきな場所なのだ。 私はずっとそばにいて様子を見ていた。 パソコンを居間に持ってきて、原稿を書いた。 5時に院長から電話があり、様子を聞かれる。 寝ているが、餌は食べない、と伝える。とにかく、今夜は家で寝かせたいと私がいうと、救急病院の場所を教えられる。 何もなければ、明日朝連れてきて欲しいといわれる。 7時前に家人が帰ってきた。ふたりでブル太郎をどうするか相談する。 明日、家人はひと月ぶりにゴルフにいくので、私ひとりでは、ブル太郎を入院させることに不安があるらしく、今夜中に戻した方がいいのではいか、という。そうすることにした。 母はさみしがった。 ブル太郎を車に乗せるまでが一苦労だった。体力のなさを痛感する。ブル太郎はいやがっていた。無理に乗せる。ブル太郎も体力を使った。 病院に預ける。院長がブル太郎を抱いていった。 ブル太郎がさみしげにこっちを見ていた。 なんだか、あきらめたような顔つきだった。 それから1時間後の午後8時20分。病院から連絡が入る。 「容態が急変しました」 家人とすぐに駆けつける。 駐車場につくと、室内から看護士の女性がふたりこちらを見て顔を曇らせた。 「ああ、もう死んでしまったのね」と家人。すでに泣き声になっていた。 手術室にはいる。ブル太郎が横たわっていた。蘇生処分を受けていた。4人がかりだった。 すでに反応はなく、ブル太郎は悲しい姿になっていた。 家人が泣き出した。 院長が戻ってきて、すでに心臓が停止して5分以上たっていることを告げた。 酸素室にいれて、獣医のひとりが点滴をしようとしたとき、ブル太郎が少し暴れて、そのとき喉が詰まったようだという。窒息のようになったという。 苦しかったろう。 家に帰って、家人と共にタンカーに乗せたブル太郎を居間に運ぶ。 さっきまで、ここにいたのに、と思うと涙が出て、止まらなくなった。 あの日、ゴルフのあと、まっすぐ家に帰ってさえいれば、外にいるブル太郎を家に入れることができたのに。そう思うと、自分を殺したくなった。もう、ゴルフはやめよう、とも思った。 いつも寝ているソファにブル太郎を寝かせて、一緒に遊んでいた縫いぐるみを置いた。 11歳の誕生日を迎えてから、わずか20日間の命だった。 「もう生きる糧がなくなった」といって号泣する母が哀れだった。 一晩中、ブル太郎を見ながら、酒を呑んでいた。酒、がブル太郎を殺したというのに。 戒名は「綱護院釈武留大居士」。私がつけた。 火葬するのは、12月20日木曜日。高乗寺高尾霊園。 その後、後日、葬儀、納骨式をすることになると思う。 いままで、ブル太郎のブログを見て頂いて、ありがとう。 さよなら、ブル太郎。 さよなら「明日のブルドッグ」。 そして、11年間ありがとう。 48歳から59歳まで、おれにいつもあたたかい眼差しを注ぎ続けてくれたな。感謝している。 おまえがいたから生きていけた。 ありがとう。ありがとう。ありがとう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[お知らせ] カテゴリの最新記事
ブル太郎くんのブログを読むのを楽しみにしていました。初めてコメントさせていただきます。
ブル太郎くんが亡くなったこと知り、とてもショックです。 明日のブルドッグも読み、ブル太郎くんには特別に愛着を持っていました。 先生やご家族のブル太郎くんへの深い愛情と悲しみに、日記を読んで涙が止まりませんでした。 ブル太郎くんは、亡くなってしまったけど、11年間という月日、幸せだったと思います。 先生、ご家族の皆さんの悲しみが癒されますように。 ブル太郎くんのご冥福をお祈りしています。 そしてまた、ブル太郎くんのお話が読める日を、ずっと待っています。 (2007.12.21 01:40:08)
こんばんは。初めてコメントさせていただきます。
朝日新聞の記事で偶然拝見して以来、ブル太郎君のファンになった者です。 現在、ペットを飼える環境に無い私にとって、明日のブルドッグやこのブログは日々の生活や仕事の疲れに“うるおい”を与えてくれるものでした。 家族もブログ更新をとても楽しみにしており、よく話題にさせてもらっていたので、ブル太郎君が亡くなったと聞いてとても悲しいです。 今まで与えていただいたことに感謝するとともに謹んでブル太郎君のご冥福をお祈り申し上げます。 そして、いつかまたブル太郎君の物語が読める日を楽しみにしています。 (2007.12.21 03:36:23)
ブル太郎君に会えないなんて。
突然の別れに言葉もありません。 ご家族皆さんの悲しみを思い、涙が止まりません。 我が家の介護を必要とした愛犬べルが4年前の12月10日朝に亡くなった時のことを思い出したり、ブル太郎くんのやんちゃぶりを思い出して泣いています。 悲しいですね。 でも、ブル太郎君はきっと今「ありがとう」と言っていることでしょう。 ご家族から、とてもとても愛されていたのですから。 (2007.12.21 23:16:03)
哀しいです。家族同様のペットが亡くなることは本当に身を切られるようです。ブル太郎くんの死でお母様が受けたショックが如何ほどのものか伝わってくるようです。
我家には、今二匹のモルモットが家族に癒しを与えてくれています。寿命の短い彼らのいつかくるだろう死を解ってていても、存在そのものが掛替えのない空間を与えてくれます。 娘がブルドッグの姿に"愛"を感じるといって、一緒にブログでブル太郎くんの写真を見た事もありました。 ブル太郎くんいつも愛くるしい姿を見せてくれてありがとう。 ご冥福をお祈りいたします。 (2007.12.28 11:59:38)
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