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ハイヤーセルフや守護天使といったような存在からの
サポートって、色んな形があると思うんですが。 mixiの質問コーナーで話題になったんで、ちょっと書いてみようかと。 N・D・ウォルシュの『神との対話』の最初のあたりにね、 『わたしは言葉以外でもコミュニケートする。それどころか、めったに言葉は使わない。 いちばん多いのは感情を通じたコミュニケーションだ。』 『わたしはコミュニケーションの手段に思考も使う。』 『感情と思考の他にもうひとつ、経験という、偉大なコミュニケーション手段がある。 感情と思考と経験のすべてが失敗したとき、最後に言葉が使われる。 言葉はじつは、最も非効率なコミュニケーション手段だ。』 (ウォルシュ、1995、神との対話p19-20) とこうあるんですけどね。チャネリングして会話になってないと、 見えない存在とはコンタクトできてないんじゃないか、サポートを受けて ないんじゃないか、って思いがちですが、そうではないわけです。 これは確かにじぇいど♪が感じているのもそうで。 カイルなんてのは自分のハイヤーですから、繋がり方も深いし合わせやすいからでしょうけれど、 言葉でのコミュニケーションをなるべく避けようとしてるのがわかります。 最初にまだ完全に他者として感じて対話していた頃に「俺と対話をするな。 俺をチャネリングして自分とは別ものとして他人と話すな。俺を他者として感じるな。 俺とお前が同じものであることを徹底して感じろ」と、そう口をすっぱくして 言われてました。そうやって慣れた末にできあがったモード、 それが「黒じぇいど♪」とよんでいる自分の内側にある部分であると感じています。 そう、あれは「上にいる人」みたいなんだけど、内側にある部分なんだろうね。 なにか解決しなければならない複雑なものごとがあるとします。 すると、まるで「突然のひらめき」のように、解決方法がクリアに「思考」として 示されることがあります。なので気付かなければ「自分の直感で動いている」という感じがする サポートの仕方をしますが、まあ・・・あまりに唐突なので、あ、彼、というか その部分からのサポートだな、とまあ、今は経験からわかることもあります。 これに対して、ミカエルのサポートの仕方というのは、もちろん、言葉での会話も あるわけですが、「経験」によるものが多いです。なにか「テーマ」が持ち上がると、 気付かぬうちに「経験」の中に叩き込まれ、終わって気付いてみるとその「テーマ」 に関する経験をしており、自分で納得のいく「答え」や「変化」が得られている、という形です。 ときには1、2年かかっている「経験」もあり、その采配の用意周到さと緻密さにはいつも 「高次の存在とはこういうものか」と驚嘆させられます。 これは、「自分ではここまでのことをすることはできない。俺ができるのはせいぜい~まで。」 とカイルもその自分の能力との違いを認めています。 見えない存在にも段階というのが色々あって、関われる物事への深さ、広さ、というものに 違いがあるのでしょう。 そして、そういう「経験」を通じて様々な「感情」を味わうわけですが、 その感情そのものが味合わせたかったサポートそのものでもあるのでしょう。 ま、逆に唐突に感情だけが降りてくるように内側に沸き起こって、なんだこりゃ?と思って 探って見ると・・・ああ、こういうことか、と逆さまの状況もなくはないのですが。 こういう「感情」からは実に様々なことが学べるわけですが、これはこれこれこういうことを学んだ、 と言葉にしてある程度は説明できることもあるかもしれませんが、やはり言葉は限定された 範囲しか表現できず、生の感情にまさる説明というのはなかったりするものです。 ということで。別に意識しての見えない存在とのやりとりがないために気付いてなくても、 ひらめきや、自然に起こる周囲の出来事にしたがって得られた経験、そして まわりのそういった出来事や刺激から沸き起こる感情、それらがすでに見えない 存在からのサポートであり、我々はすでに見えない存在と多くのコミュニケーションを 行っている、ということなのでしょう。 と、ま、これはなんの前フリかというと。 そゆことを承知の上で次の記事は読んでね、ってことなんだけれども。 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.06.21 06:24:44
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