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今週の日曜日、4月30日に行われた第133回春の天皇賞、お約束どおり、デォ-プインパクトがレコードタイムで盾取りを果たした。日取りも問題がなかったし、7枠というのもデーィプと相性がいい数字だ。しかも、第133回天皇賞というのも、ひと桁に直すと7になる。問題の馬体重も438キロと、7の数字を強めてくれる。
しかし、こういう情報はレース直前にならないとわからない。そのため、目の前で起こった昨年の有馬記念の悪夢がどうしても忘れられず、前日からスポーツ新聞ばかり読んでそわそわしどおしだった。生まれて初めて買った馬券が、その有馬のディープの単勝100円の三枚。勝っても換金する気など毛頭なく、記念にとっておくつもりだった。皮肉にも、あり得ない敗戦の記録が多分、私が生涯に1度だけ買うことになる馬券となった。 したがって、先の阪神大賞典も今回の天皇賞も馬券は買っていない。万が一、私が買ってディープが負けるようなことがあったら、と思うと1%に満たない可能性でもゲンを担いで買わないことにしている。私はただもう、ディープがこの世にいてくれる、勝ってくれる、ということだけで十分なのだ。こういう心に糧にお金などとは換えられない。 思えば、昨年、ディープと出会って以来、不思議と占いの仕事でも競馬好きの人や馬術に関わる仕事をしている方々との出会いが増えたような気がする。最近はというと、3日に1回くらいの割合で仕事でも競馬の話をするようになった。 そんな中に、たった半年ほどの付き合いになることになったが、忘れがたい人がいる。太陽が天秤座で月が蟹座の方である。私とよく似た性質なため、最初からウマが合い、短い期間であったが、いつも笑い倒して電話を切ることが多かった。彼女もまた、大の動物好きで競馬の知識も豊富であった。 そんな彼女のカードはスワードのクイーン。このカードは天秤座に生まれた人はほどんどがあてはまる。まんまやんけの結果であったが、気になったのはディスクのエースとカップのプリンスが逆位置で出たことだった。もしや、体の具合が悪いのではないか、それもかなり、と思い、単刀直入に聞いてみた。 彼女は明るく少しかん高い声で「そうでーす。私、骨川筋子でーす。体中、傷跡だらけでーす」と答えてくれた。 彼女はガンに侵されていた。20代後半という年齢のため、進行は速い。なんてことだと思い、こんな話には滅法弱い私は泣いてしまいそうになったが、相手が明るく言っているのである。安っぽい涙など、彼女は望んでなどいない。グッとこらえて、淡々と受け流し、夜の世界で働く彼女の話に切り換えたことを覚えている。 そんな彼女の好きな馬は、サイレンススズカとツインタ-ボということだった。サイレンススズカといえば、競馬ファンならずとも絶頂期に若くして逝った天才馬と競馬の知識が浅い私でもある程度は知っているほど有名な馬だ。1988年11月1日、先頭を独走していたサイレンススズカに故障が発生した際の実況担当者の悲鳴、「沈黙の日曜日!」という言葉が耳の奥に焼き付いていた。 そして、ツインターボは、最初からガンガン飛ばし、最後は大失速するトリックスターという代名詞で表現される馬であった。 彼女はこう言った。「ツインターボみたいにしていたい、っていつも思うの。あの馬は笑われてばかりだったけど、笑われているのを喜んでいたんじゃないか、って思うから。私も仕事をしているとき、人に笑い者にされると、やった!って思うんだよね」 彼女なりのサービス精神に他ならない。彼女は人に笑われているのではない。笑わせていたのである。体中を切り刻まれ、どうしようもない苦痛を押し隠し、とにかくこの1日を明るく前向きに笑って過ごそうという悲痛な決意だった。そして、サイレンススズカが好きだというのは、20代後半という女性にとっては最も美しく、夜の世界で常にナンバー1を維持しながらも重篤な病気に侵され、死を意識させざるをえない自分を投影させていたためなのだろう。 その彼女と最後に話をしたのは1か月ほど前になる。そのときは、また、入院するということだった。 「多分、今度の入院が最後になるかも。もし、ダメだったら、先生のところにまっ先に行くね!」といつもの調子で明るく言ってくれた。「またまたー」と私も明るく返したのが最後の会話だった。 そして、天皇賞から明けた昨日、5月1日、いい気分で眠っていた私は、目が覚める直前に彼女の夢をみた。「先生、よかったね!」はっきりと、そう言った彼女の夢を。顔は知らないので声だけであったが、ハッと飛び起きたその直後、電話が1回だけ鳴ってすぐに切れた。 占いの仕事は基本的にコレクトコールでクライアントに電話をして鑑定をするため、彼女が私の家の電話番号を知っていることなどあり得ない。しかし、私にはその電話が彼女からのものだとはっきりとした確信があった。そして、全てを了解した。彼女は、病院のベッドの中で天皇賞を観ていたはずだ。そしてその後、、、。 涙は流さない。絶対に泣くものか、そう思った。彼女は、私が泣くことなど望んでいない。だから、絶対に。 しかし、今日は、危うく泣きそうになる気持ちを抑えることができなかった。そのため、馴染みの閑散としたパチンコ屋が潰れ、人の多い店しか残っていないため、あの音と空気の悪さに今年に入ってあまり行かなくなっていたが、気持ちを抑えるために朝からパチンコに出かけた。 しかし、打った台が悪かった。 「冬のソナタ」というあのヨン様の機種である。この台には、入院モードという当り確定の演出がある。ヨン様の魅力は私には理解不能であるが、あの音楽と入院という言葉が相乗効果を生み、当りが延々続くなか、ついに涙が溢れてきてしまった。隣で打っていた女性は、相当なファンらしく、「感動的だもんねー」と私の顔を見て頷いていた。 彼女は、約束どおり来てくれた。ディープの話になると、熱狂してしまう私を面白そうにいつも聞いてくれた、あの彼女は。 私は、彼女を「ボンちゃん」と呼んでいた。 骨川筋子といった彼女の言葉を借りて、骨を英語にしてボーン、そこからボンちゃんである。 彼女は、この呼び方を気に入ってくれていた。「だって、ボンちゃんのボンは平凡のボンだもんね」と言って。 彼女の望みは、平凡に生きることだった。健康で働き、結婚をしてごくごく普通に暮らしていくことだった。 しかし、普通ということほど難しいことはないのではないか。 彼女は、そのことを痛いほど知っていた。 ありがとうディープ、ありがとう、ツインターボ、そして、ボンちゃん、ありがとう。 ずっと忘れないから。本当にずっと。約束を守ってくれてありがとう。 でも、ごめんね、やっぱり涙が止まらないよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 3, 2006 03:08:47 AM
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