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2012年07月14日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
カウンセリングは、導きではない。
虚心坦懐に接すれば、芸術作品に触れたときの感動に似て
人の奥行き、時の深さ、世界の広がりに、目からうろこ、
自分の狭量な幕が破られる。
こころのもつれ具合は分かりにくいものだ。
もつれていてもそれを当たり前のように感じて
自然と思い、ほかの人も同様であろうと推測する。
その前提を基に、カウンセラーを、他者を攻撃するときもある。
だから、攻撃はもつれ具合を感じる第一歩。
お聞きしているうち、その人がどんなふうな隘路をたどってきたのか
ふわっと浮き上がってくるときがある。
苦しみを糊塗するためにそのひとが取った対処法を感じる。
けれど、ぼく場合は、その新風景が見えてきたとしても
仮にもつれの原因が見えてきたとしても
そこに焦点をあてる流儀ではない。
雑談のうちに、その人が持っているエネルギーのありかを感じる。
そのエネルギーをその人自身が持っていると感じられるように話をつづけ
どんな方向に向かえば動かしやすいかを考える。
こうなると、芸術はドラマにちかづく。
しかし、演じてもらってはこまる。
二人の自分を抱えることは、また葛藤の原因になるから。
演じるときは、演じると分かって演じてもらうように話し合う。
さて、ここで注意がいる。
芸術に似ているからと言って、
権威や他人の芸術観をうのみするタイプの芸術崇拝は逆効果だ。
カウンセラーは、自分自身の感性を磨く必要がある。
感性磨きは、カウンセラーの重要なトレーニングだ。
19世紀フランスの作家、バルザックは、著書「セラフィタ」のなかで
こんなことを言っている。
Sentir, c’est croire.
直訳すれば、「感じること、それは信じること」。
感じなければ、信じることはできないという風にもとれる。
頭だけの理屈磨きとは、はるかに隔たった世界にある。
ぼくは、詩作が好きだが、音楽でもいいし、絵画でもいい、
自分自身の感受性を磨きましょう。
はじめ難解でも、やがてふときらめく瞬間があると思う。





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最終更新日  2012年07月14日 08時32分55秒
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