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カテゴリ:音楽専科
(人生の贈りもの)財津和夫(65):4チューリップの再結成メンバー。前列左から姫野達也さ ん、上田雅利さん、宮城伸一郎さん、後列左から安部俊 幸さん、財津和夫さん ■ミュージシャン ■別れた人思いながら「心の旅」 ――福岡を離れ、チューリップは東京で再出発します これまでを切り捨てて再スタートしようと考えた。「私の小さな人生」の担当ディレクターの新田和長さんを訪ねて、「魔法の黄色い靴」のデモテープを聴いてもらったら、一発で「やろう」と。それで東京へ行くのですが、一番若い姫野達也はまだ10代。彼の家の応接間で、お母さんに「息子さんをお借りしてもいいでしょうか」と了解してもらいました。 ――1972年、第一弾としてシングル「魔法の黄色い靴」とアルバムが同時発売されました 期待されていた割に青山の2DKのアパートで5人暮らし。シングルの売り上げは最高でオリコン90位台。2枚目もヒットせず、次がだめなら福岡に帰ることになっていたので、東京に出てきた時の気持ちを曲にしようと考えました。別れた女性を思いながら。 ――その「心の旅」は発売から約4カ月半をかけ、ついに1位になります。「ポケットにつめこ」みたかった女性はいたんですね ずいぶん長く片思いだったんですが、上京直前にちょっと付き合えた。別れはつらかったけれど、当時はもう好きだとか嫌いだとか言っていられない状態で。 ――この曲の収録直前、リードボーカルが財津さんから姫野さんに代わったそうですね 交代を知ったのは歌入れを始める当日でした。なぜそういう判断になったのか分からず、これでこの曲もヒットしないと思いました。でも、交代は結果的に正しかった。僕の推測ですが、あの曲は甘く素朴に歌う曲で、僕では強く深刻になりすぎる。新田さんらはそう判断したのでしょう。 ――チューリップはその後、メンバー交代を経て89年に解散します。解散時、オリジナルメンバーは財津さんだけでした。音楽性ですれ違いがあったのですか 音楽性の話になってきたのは、85年に姫野と安部俊幸が辞めた時です。年齢も重ね、それぞれの立場や主張も生まれてくる。引き留める理由はなかった。でも、2人が別のバンドを作ったのはショックでした。音楽の最前線に立っていたし、次のツアーも決まっていた。その状況だからこそ、彼らも財津が敷いたレールを離れようと決断したのでしょうけれど。男なので、気持ちは分かります。それで主要メンバーが抜けた以上、続けられないなと。 ――財津さんにとってチューリップとは? 成長の場ですか 結果的にそうでした。チューリップは一つの家です。解散後は誰も住まない家になりましたが、取り壊されることもなく、そろそろあの家に行こうか、みたいな感じになって。そこに行くとご飯もちゃんと楽しく食べられる。20代から60代まで出入りし、その家を通して成長してきました。(聞き手・三ツ木勝巳)
出典:[朝日新聞] 電子書籍「晩年考」 PDFダウンロード版 約70MB、偉人600人 ホームページ (「インフォカート」社版:定価1,000円) 600円で提供中(発行記念価格、期間限定) ご希望の方は、「本希望」と書いて こちら まで お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.06.20 18:37:30
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