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カテゴリ:旅行専科
●穂高岳 ほたかだけ 長野県と岐阜県 3,190m/ 穂高連峰 穂高の思い出 穂高のことをまとめようと思って作業にとりかかったが、穂高のピークは一つではない。 最高峰は奥穂高岳だが、この山頂を踏んだだけで穂高を登ったとはいえないだろう。 槍が岳の展望がすばらしい北穂高岳。吊尾根を通って至る前穂高岳。 そして、穂高の冬山入門コースの西穂高岳。 その他には、滝谷とか屏風岩の岩登りがあるのだが、私はロッククライミングができないので、これにふれることはできない。 私が初めて穂高岳を見たのは、松本に転勤してきた年の6月のはじめであった。 バスで上高地に行った。朝一番のバスに乗り、釜トンネルを抜ける頃に空が明るくなってきた。大正池でバスを降りて、そこから穂高をはじめて見た。 すごい、と思った。 大正池はそれこそ鏡のように静まっていて、朝の空気は澄みきっていた。雪を頂いた穂高がその鏡のような水面に映っていた。 本当に絵葉書そのものの光景が広がっていた。 日本にこんなところがあるのか、と言葉も出なかった。 かつて上高地は「神河内」と書かれたというが、まさしく神の宿る地だと思った。 穂高には、松本在住の5年間に何度登ったかわからない。 10月の中旬、北穂に登った。穂高には雪がついていて、その姿はまるでヒマラヤの岩壁を見るようだった。そして翌朝、雪を身にまとった穂高の岩壁が、朝焼けで本当に赤く染まるのをみた。山の荘厳さを痛いほど感じた。涙が出るような感動だった。 このときは北穂に登って、山頂から槍が岳の大パノラマを楽しんだ。 9月の末に、松本の職場の仲間と奥穂に出かけたことがある。 涸沢はすばらしい紅葉だった。ナナカマドが、何とも形容のしようがない鮮やかな赤をしていた。真っ青な空と紅葉に飾られた穂高の岩壁。もう何も言うことは無い。 このときは、奥穂から前穂に縦走して、岳沢を下り、上高地に帰ってきた。 槍から大キレットを経由して北穂まで縦走したこともある。 このときは、職場の山友達と2人ででかけた。上高地から槍沢を登って、槍ヶ岳の肩の小屋に泊まった。槍に登って、翌日北穂まで縦走した。 大キレットは、予想したほどにはたいしたことがなかった。 ところが、大変だったのはキレットから穂高への登りであった。これは怖かった。 今もあの時の岩場の怖しさを忘れることができない。 ようやくの思いでたどり着いた北穂。この日はここで泊まって祝杯をあげた。 小屋の売店でポケットウィスキーを買ってきて、しだいに暮れていく槍の景色を見ながら飲んだ。このときは、ポケットウィスキーを5本空けた。そうとう酔っ払ってしまって、それでも翌日二日酔いにならなかったのだから不思議だった。 翌日、奥穂に縦走した。 このコースも、足がすくむような岩場が続いていた。 奥穂からは涸沢に下ったが、穂高の岩場を満喫した3日間であった。 東京に転勤になってから、職場のみんなと上高地に遊びに来たことがある。 このときは、上高地散策と西穂登山の2つのグループに分かれた。 女性も含む7人のパーティで西穂に登った。 山頂で万歳をしたが、時間が遅くなってしまった。 途中からヘッドライトをつけて下ることになった。上高地の登山口に着いたときは本当に真っ暗で、ようやく予約していた宿にたどり着いたら、捜索隊を出される寸前だった。 北穂高岳 北穂高岳のすばらしさは大キレットの向こうに聳える槍ガ岳の景観に尽きるのではないか思う。 登山記録:2001年 北穂高岳 10月の中旬、北穂に登った。 松本に住んでいたときのことで、職場の仲間と3人で出かけたのだ。 電車とバスを乗り継いで、上高地から歩き始める。 梓川沿いに歩いて、徳沢園を過ぎ、横尾山荘に着く。 ここで梓川を渡って、涸沢に向かって登りはじめる。 屏風岩を巻いて登っていくが、気がつかないうちに、ずいぶん傾斜は急になっている。 3時頃、涸沢に着いた。 この時は涸沢ヒュッテに泊った。 翌朝、目を覚まして、外へ出てみると、穂高岩壁にうっすらと雪がついていて、その姿はまるでヒマラヤの岩壁を見るようだった。そして、雪をまとった穂高の岩壁が、朝焼けで本当に赤く染まるのをみた。山の荘厳さを痛いほど感じた。感動だった。 このときはすばらしい天気に恵まれて、北穂に登っていくにつれて、展望が開けてくる。後を振り返ると、涸沢の向こうに前穂が聳えている。奥穂から吊り尾根が前穂に延びている。 すばらしい景色で何度も足を止めて見とれてしまった。 このときは、ピッケルもアイゼンも準備していなかったのだが、無事山頂まで登ることができた。 北穂の山頂からは槍ガ岳の大展望が広がっていた。 もう、すばらしいの一語につきる。 北穂から槍ガ岳に向かう稜線はすさまじく急峻で、大きく落ち込んでいる。これが有名な大キレットである。 山の経験を積んで、いつかは槍、穂高の縦走をしたいと思う。 山頂から槍が岳のパノラマは本当に見飽きることがなかった。 でも、寒かった。 北穂高小屋で休憩して、温まって、それから来た道を引き返した。 上高地に着いてから、3人でビールで祝杯をあげた。 後は奥穂高岳 奥穂から吊尾根 北穂山頂はもうすぐ 北穂山頂から槍ガ岳 "北穂高岳から槍ヶ岳
北穂高岳2002 北穂高岳 コース: 槍岳山荘→2:20→南岳小屋→2:00→A沢のコル1:30→北穂小屋→1:20→涸沢のコル→1:10→穂高岳山荘 槍から北穂への縦走。すさまじいばかりの岩稜の道である。しかし、さらにすごかったのは北穂から涸沢岳への道だった。 登山記録:2001年9月23日 槍岳山荘から大キレットへ 寒かった夜が明けた。 今日も快晴である。 槍ヶ岳山頂でご来光を見ようと思ったが、めんどうになってやめた。 朝はパックのご飯に熱湯を入れて、お粥のようにして食べた。ご飯のパックが使えないので、行動食を節約しなければいけない。けっこう情けない。 テントをたたんで出発したのは6時半であった。 まず大喰岳に登る。30分ほどで山頂に着くが、登山道は山頂の少し下を通るため、もう少しで山頂を見逃すところだった。 ここから見る槍ケ岳もすばらしい。堂々とした槍の穂先が目の前に聳えている。 西には朝日を浴びた笠ヶ岳がすてきだ。 一旦下って登り返すと中岳。ここから行く手の穂高が望めるようになってくる。 すごい岩峰群だ。あそこまで本当に行けるのかと思ってしまう。 中岳からは急な道を下る。下には平らなところが見え、これは季節が早かったら雪田になっているところだ。水場にもなっているはずなのだが、今は雪など一欠けらも見えない。 水の補給はできなかった。 実は水がない。槍ケ岳山荘で買うべきだったのだが、ここで水が補給できると思って買わなかったのだ。 ここから緩やかに登って、天狗原の分岐を通り、南岳山頂に着く。 ここからは真っ正面に穂高の急峻な岩峰が見える。 すごい景色である。自分が歩かなければいけない道を目で追ってみる。あんな絶壁を登るのか、道なんかないのではないかと思ってしまう。 実は私はこの道を一度通ったことがある。 このときは職場の仲間と二人で歩いた。すごい道だったというのは覚えているのだが細かなところは忘れていた。 また、このときは天気は曇りで、白い霧の中をひたすら歩いた。 今、目の前に聳える穂高には雲一つかっていなくて、自分がたどるであろう険しい道がくっきりと見える。 北穂はまるで垂直な絶壁のうえにあるようだ。まるで西洋の中世の城のようで、難攻不落の絶壁である。 南岳の山頂でただ呆然として、穂高を眺めていた。 ともかく行くしかない。すぐ目の下には南岳小屋が建っている。 小屋まで下って軽く食事をした。「腹が減っては戦はできぬ」という心境だ。 南岳小屋から少しだけ登り、ここから一気に絶壁を下る。 これがすごかった。岩場を下るのはなんとかなるのだが、崩れやすいガラ場が恐かった。足元が滑るのだ。もう膝がガクガクしてくる。 梯子を二つ下って、ようやく大キレットの底についた。 今、下ってきた道を振り返る。すごい絶壁だ。よくこんなところを下ってきたものだと思ってしまう。 縦走路から槍ヶ岳を振り返る 大喰岳山頂 中岳山頂 天狗原への下降路の分岐 南岳 南岳山頂 ・・・北穂高岳2002(1/2)=穂高岳2/4(11/26投稿予定) に続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.11.17 05:00:12
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