本質的にはかわってないような気が・・・(その2)
さて、のらりくらりと書いている、本質的には日本は何も変わってないというネタの続き。最近思うのは、「人材の流動性」。子供の頃から官僚制の問題(22歳で採用されれば、その人材が向いていようがいまいが、定年まで勤め上げることになり、流動性のなさは、たとえば癒着の原因になったりする)や、それと同列で語られる終身雇用の問題は、耳にタコができるほど聞かされてきた。そして今はどうなったかって?全く変わってないと思う。本質的には。もちろん何でも変われば良いというわけではない。終身雇用制のメリットはいくらでもある。特にいったん「中」に入ってしまえば、これほど精神的安定を得られるシステムはないだろう。また、一貫した仕事のトレーニングができるので、そういった負担も少ないし、いやというほど気心が知れるから、グループの連帯感もいやおうなく高まり、大きな仕事をする際の効率も高まると思う。ただ、日本では本流から外れてしまった人には極度の負の負担が強いられる。結果、いじめや自殺が多発しているような気がする。先日引用した記事も「Suicide might be less common if, rather than force people to endure lifelong shame, Japanese society began to allow its people second chances」と書かれているけど、これは自分が生きてきたここ何十年間実現していないし、むしろ本質は微動だにしていないように思う。話を人材の流動性に戻そう。たとえばいじめ。というわけで日本からいじめはなくならないと思う。絶対に。少なくともこれから数十年は本質的にいじめ問題が変化するということはないように思う。さて、日本では表面上「いじめはあってはならないこと」という美談が闊歩しているせいで、じゃあいじめにあったらどうするか、といういじめの存在を認めた上での議論がほとんどされてないように思うけど、いじめにあった時の解決方法は簡単だ。「逃げる」つまり転校だね。アメリカだったらたとえば子供の転校のために、親が転職して遠い場所に引っ越すことも比較的簡単だ。最悪の場合、「学校に行かない」という選択肢もあり、それでも基準をクリアすればちゃんと学校を卒業したのと同等の資格をうることができる。(この「学校に行かない」という選択肢は個人的には問題のほうが大きいと思ってるけどね。)ところが日本の公立学校は度重なる転校を認めていない。さらに学区域を越えて転校せざるをえなくなった時に、親が子供とともに引っ越す・・・これもできない。おいそれと転勤、ましてや転職などできない。また転校したところで、転校自体が珍しいので、それもいじめの原因になる。そう。日本は個人個人の社会の中での自由度が思ったより低いような気がする。結局逃げ場が少ないので、自殺ってことになるような気がする。そして上に書いたような事は、社会の大きな仕組みを変えないとどうしようもないことなので、結果、子供の自殺はなくならないだろうね。反面やはり「中」に入っていられれば、これほど心地良い社会もないはないのだけれど。記事はもう削除されてしまったけれど、こないだ Asahi.com に美談的スタンスで書かれた「ひきこもり20年、克服して高校へ、39歳女性」という記事が載ってたけど、まさか日本の人で、この人が高校を卒業することに「社会的な意味(つまり、一人前の社会人として認めてもらえる)」があると思っている人はいないだろうね。日本では残念ながらほとんどありえない、とほとんどの人が思っているだろう。だからこういう記事を美談的スタンスで書かれると、本当にズレてるなぁ、と思うわけだけど。つづく。