6月26日、水曜日です。本日は「雷記念日」です。930(延長8)年のきょう、平安京の清涼殿に落雷があり、大納言の藤原清貫ら数人が死亡しました。さらにこれを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、約3カ月後に亡くなりました。人々はこれを菅原道真のたたりであると恐れました。道真は謀略で大宰府に左遷され、そのままかの地で生涯を閉じていたからです。
道真の怨霊を鎮めるために、京都の北野に北野天満宮が建立され、道真は天神様として祭られました。
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そして落雷があった日が「雷記念日」になったということです。ただし、いつ、誰が制定したのか、調べても判然としません。
雷に関する苦い思い出があります。小学校の高学年ぐらいの夏休みでした。4歳年下の弟と、自転車で川へ釣りに出かけました。照り付ける日差し、入道雲。典型的な真夏の午後でしたが、釣り糸を垂らしていると次第に雷雲が広がって暗くなり、やがてゴロゴロと雷が鳴り始めました。
まずい、もう帰ろうということになり、家に向かって自転車のペダルを必死に漕いでいると、途中で土砂降りになり、さらに稲妻、そして耳をつんざくような雷鳴が響いて、私も弟もずぶ濡れ。ついに弟は自転車を倒して泣き出してしまいました。
仕方なく、路肩に自転車を放って、近くにあったプレハブ小屋のような所の軒下で雨宿りすることにし、震えながら弟と身を寄せ合っていると、プレハブの扉が突然開きました。驚いて心臓が止まるかと思いました。雷雨で中断したのでしょう、プレハブ小屋の中に建設作業員のおじさんたちが何人かいて、濡れネズミになった私たち兄弟を招き入れてくれたのです。いろいろと聞かれ、お菓子か何かをごちそうになった気もするのですが、覚えていません。
やがて雷鳴は遠ざかり、雨も止んで、雲間から太陽が顔を出しました。私たちはプレハブ小屋から出て、路肩に放り出した自転車を起こして、その後無事に家に帰ることができました。ところが別れ際に、おじさんたちにきちんとお礼を言うことができなかったのです。大げさかもしれませんが、その時はまさに地獄に仏、おじさんたちは恩人でした。そんな彼らに感謝できなかったことを今も悔やんでいます。
飾り京扇子 宗達雷神図/台付き
京焼 清水焼 宗達写風神雷神図抹茶茶碗 善昇