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カテゴリ:体のこと・心のコト
今日はいつもどおり黙々と仕事してただけなので、昨日の話。
札幌から小樽へ向かう列車の中、ラッキーなことに海側の一人掛けの席に座ることができた。 この路線では銭函駅を過ぎたあたりで、線路が海辺ぎりぎりのところを通る。 昨日は波が高くて、エメラルドグリーンの海から銭函~朝里の岩浜に真っ白な波がどっぱーんと打ち寄せていて、いかにも冬の日本海って感じでかっけー! なんて思っていたんだけれども。 小樽の町をさんざん歩いて歩き疲れて札幌に帰る列車でも海側の一人掛けの席に座れて、ちょーラッキー♪と思いながら夕暮れの海を眺めていた。 札幌から小樽へ向かうより、小樽から札幌へ向かう方が、より海の近くを通る。 行きよりはほんの少し波は穏やかになっていたんだけど、それでもかなり強く打ち寄せては引いている。 大きく打ち寄せて、引いていく波に覆いかぶさるように次の波が打ち寄せる様子をずっと見ていたら、急に吐き気がしてきた。 その時、脳裏に浮かんでいたのは、3・11の映像。 多くの人々の命や生活基盤、思い出、その他諸々の大切なものを、あっさりと飲み込んでいった津波の様子を思い出してしまっていた。 震災直後、テレビの映像だけでもトラウマになる人はなるから、あまり見ない方がいい、みたいな話を聞いたけど、これそうなのかね。 あの時はさすがのクソマスゴミも、「つらくなってきたらテレビは消して、本を読んだり好きな音楽を聴いたりして過ごしてください」とか言ってたもんな。 あれ以来、自分の価値のなさにどうしようもなく嫌気が差す日が多い。 被害者があまりにも多すぎるからいちいち報道されないけど、幼い子供を遺して亡くなった、私と同い年のお母さんとか絶対いると思うんだ。 私が身代わりに死ぬことでそのお母さんが生き返れるなら喜んで死ぬのに。 そういう思いが、ずっと消えない。 死んじゃいけない人が死んで、死んでも構わない私が生きてるなんて間違ってる。みたいな。 同じようなトラウマに囚われてしまった人、日本中にいるんだろうなぁ… 私には、「だからって自分をないがしろにしないでください」って言ってくれる人(常駐バイトちゃん)がいるし、もしも耐え切れなくなって私が自ら命を放棄したらあの津波のリアルタイムの映像を見て「なんかこういう(大きい災害が起きたりした)時ってわくわくする」とか「テンション上がる」とか言ってた奴が手を叩いて大笑いするだろうと思ったら死ぬに死ねないから頑張って生きるけれども。 まさか単なる高波見たぐらいで吐き気を催すとはねぇ。 心的外傷恐るべし。 四十路突入まで、あと28日。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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