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カテゴリ:宝塚
私は宝塚ファン歴38年になります。
その間、何人かのスターさんのファンクラブに入ったりもしました。 好き過ぎて、週に何回も見に行ったスターさんもいます。 ですが、宝塚歌劇を退団されると、どのかたも よくて年に1度、関西公演があれば見る、 下手をすると全然拝見しない、といった調子に落ち着きます。 が、元雪組トップスター ジュンコさんこと汀夏子さんはむしろ逆で ここ数年は大阪で行われるライブやディナーショーは 必ずのように拝見しています。 なぜか? それは2008年7月にジュンコさんとお話しさせていただいた時 私が許されないような失敗をしたにもかかわらず 私を叱りとばすどころか 優しくフォローして下さったジュンコさんの人間性に感服。 心から感謝し、尊敬したからです。 その場に同席しておられたのは 長年ジュンコさんのファンでいらっしゃり 関西地区のスタッフ役でいらしゃる村岡悦子さん。 その村岡さんがこのたび、取材を受けられ ジュンコさんがタカラジェンヌだった時代を 熱くお話しされた様子が本日の読売新聞夕刊に掲載されております!! 読売新聞を購読されていない方はこちらをどうぞ。 →【百年へ 宝塚歌劇】第四部(2)「皆のお陰でトップ」号泣 ジュンコさんが単独トップになった公演初日のエピソードなどは 本当に胸が熱くなります。 それから、楽屋入りしたジュンコさんを 「もしかしたら休憩時間に出てくるかもしれない」と そのまま12時間待ったこともある…というエピソードは 「わかる、わかる」と自分の熱烈ファン時代を懐かしく思い出しました。 私が熱烈なファンだったのは1980年代。 まだ宝塚大劇場とお稽古場が別棟だったし タカラジェンヌの食事環境が整っていなかった(のだと思う)せいもあり お稽古場から大劇場楽屋へ行くとか 食事休憩などといって スターさんがふいにお稽古場から出てくることが ままありました。 当時は携帯電話はもちろん、ポケットベルすら まだ世の中に出回っていなかった時代です。 ご贔屓が一旦お稽古場や楽屋に入ってしまうと 連絡のとりようがない。 (楽屋には電話があったけど、つまらない用件では かけられなかった) 「今日はお稽古遅くなるかも」くらいの情報は 入る時に教えてもらえるけれど それも確定事項ではない… ということでディープなファンで時間に余裕がある人は ずっと待つということになったものでした。 今思うと、会えるという保証が全くないのに よくあれだけの時間耐えて待ったなァと思います。 後にポケットベルがでまわって スターさんから「今から出ます」というような 合図が送られてくるようになったときには 「はー、何と便利な!」と感激したものです。 携帯電話やメールが当たり前の今では考えらませんけど。 ちょっと脱線してしまいました。 村岡さんはこのインタビューの最後を ジュンコさんについてきて良かったと締めくくっておられます。 ジュンコさんファン歴50年。 すごいわー。 村岡さんも もちろんすごいんですけど、 真にすごいのは、そんなふうに熱い思いで応援し続けておられるのが 一人や二人じゃないってことなんです。 私が2008年からディナーショーやライブなどにお邪魔して 毎回思うのが、ずっとファンでいらっしゃる皆さんの熱量のすごさ。 宝塚ファンは概して熱いものだけど ジュンコさんファンは、どれだけ歳月がたとうとも その熱を保ち続けていらっしゃる。 そしてファンを突き動かすその原動力は何かというと やっぱりジュンコさんご本人なのですね。 「皆楽しんでる?」「来てくれてありがとうね」の気持ちが ビシバシ ステージからこちらに放射されているんです。 スターとファンの幸せな関係を毎回見せていただいています。 今年も12月23日にウェスティンホテル大阪で ジュンコさんのディナーショーがあります。 もちろん私も伺いますヨ。 楽しみ。 ちなみに、村岡さんのインタビューは昨日の記事にも一部掲載されています。 もし良かったら読んで下さい。 →【百年へ 宝塚歌劇】第四部(1)白服で見送る 退団の華 もし今日の日記を気に入ってくださったなら ↓ ポチッとクリックお願いします。 ![]() 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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