人は一人では生きられない
今、まさに春!一日ごとに花が咲き乱れてくる。桜が咲き始めた。花桃も、杏も咲いている。私の大好きな辛夷も白く、そのうち、ハナミズキ、山ぼうし達も花ざかりとなるだろう。昨日、友人と昼食を食べた。彼女は3月の15日にご主人を亡くして、今は悲しみのただ中にいる。本当に慰めの言葉もでない。彼女のご主人には私もとてもお世話になった。今日はそのご主人への私からの弔辞である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「人は一人では生きられない」それがモットーで数多くの人に手を差し伸べていらっしゃいましたね。私も手を差し伸べていただいた一人でした。生きてお目にかかっていたときは、それほどに意識もせずに甘えておりましたが、今、もうお会いできないとわかると、どれほど庇っていただいていたことかと思い至り、つい、涙が溢れてしまいます。人は一人では生きられない。本当に・・。自分では精一杯頑張っていたつもりでも、実はどれほど助けていただいていたことか。お目にかかってニッコリしていただけない淋しさとともに、大きな傘を急にはずされてしまったような心細さがひしひしと身にしみてきます。50才を超えて職を失った私は途方にくれていました。持っている資格はあまりにも特殊で転職の役には立ちません。住むところと食べることは姉と同居しているので何とかできますが仕事が無い。というのは本当につらい。もちろん、一生懸命働きました。この3年間にした仕事は、お蕎麦やさんのお手伝い。単身赴任の方の家事手伝い。パートの事務。クリニックのHP管理。ソフトウェア文献の抄録作成。これらをかけもちしながら仕事をしていました。でも、心がいつも飢えていました。私の仕事がしたいそれは、パーツでない仕事がしたい。というような望みでしょうか。自分から企画し、提案し、実行できる仕事がしたい。与えられた仕事だけでは何となく不満だったのでしょうか。もちろん、皆さんとても親切にして下さいました。お蕎麦やさんでは「うちの一番上の娘よ」と言っていただきました。パートで働いている事務所では課長に「定年はあるんですか?」と聞くと、「70才くらいまでは良いみたいだよ」と言ってもらい「そ、そ、そ、それは・・・。有り難うございます」と笑い話のような有り難い話です。文献の抄録は私が自分であきれる程ピントがずれているのを気長に育てていただきました。もう、担当のkさんには足を向けて寝られません。一生懸命用意したわりにはたいして美味しくもない食事を召し上がって下さった単身赴任の支社長さんからは、辞めさせていただくときにわざわざお礼の言葉とお餞別をいただきました。すごくうれしかった。でも、いつも心は餓えと焦りが占めていました。そんな時、ある仕事に出会いました。親友の彼女に話しました。「頑張ってお金を貯めてこの仕事がしたいの。やっと目標ができたわ。今まで何をしていいのかわからずに苦しかった。後は、どうたどり着くかだけだわ」でも、世の中はそんなに簡単には進まないのです。パートをしながらお金を貯めるのは遅々としています。そんな私と彼女のやりとりを見ていた彼女のご主人が「資本を出してあげるからスタートしなさい」と、言ってくれたのです。「貴女のことだから、いつかはたどり着くだろう。でも、時間がもったいない。スタートしなさい」と力を貸してくれたのです。それが2年前。仕事は道半ばどころか、片足が出かかっている状況がつずいています。このご主人のさらにすごいのは一度もその状況に苦情を呈さなかったことです。時々私の親友である妻に「なんとかやれているのか・・」と心配して下さってはいたようですが・・。確かに、まだまだ形になっていません。でも、この仕事を私は諦めていません。それどころか、ますます希望を抱いています。そして、種を蒔いてくださった有り難さに思い至り、また、涙がでてきてしまいます。この仕事を持っていることがどれほど私の支えになっていることか・・。本当に有り難うございました。あなたが大切になさっている奥様やご家族の力になれるように頑張ります。どうしてよいか途方にくれる時は、どうか力をお貸し下さい。奥様の力も借りながら仕事もしっかり花を咲かせるように努力します。天国にいらっしゃる貴方がオーナーです。褒めていただけるように頑張りますね。「人は一人では生きられない」この言葉をさらに心に刻み、ほんのわずかな私の力でも必要とされることがあれば、貴方からいただいた恩をお返しすることができる機会だと思って力を尽くします。天国からどうかご覧になっていて下さいね。合掌