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カテゴリ:盛商サッカー部
昨日、2010年11月07日(日)
「第89回全国高校サッカー選手権岩手県大会 決勝戦 盛岡商業対遠野高校」の試合にPKで敗れ、二男達の高校サッカーは終わりました。 ホテルの窓から見える、「霧に噎ぶ盛岡の町」が悲しいです。。。。 今日の「岩手日報」、「盛岡タイムス」に踊る遠野3年ぶり全国へ」「盛商、全国を逃す」等の活字が目に入りません。。。。。 目に入るのは、 「(PK戦は、)自分が1本止めて取り返したかった・・・・・。 走り負けせず技術でも負けていなかったが、クロスの精度などで個々の甘さが出た」と目を真っ赤にして語った。(岩手日報) 「試合の中で、みんなやろうとしていたことは出来たし、前半は特にいいリズムで理想のサッカーだった。結果PKになったのは個々の甘さがあったと思う。今の三年生は全国を経験していなかったので、もう一度齊藤先生を全国で笑わせたかった。きょうの悔しさと、高校総体のうれしさを忘れずに後輩たちにはもっともっと上に行けるチームになってほしい」と語った。(盛岡タイムス) でした、、、、、 負けてしまったことよりも、盛岡商業高等学校サッカー部を去らなければならないことが悲しいです、、、、 昨晩、盛岡商業高等学校サッカー部OBの皆さんの声掛けで開催された「残念会」に我々夫婦は参加しましたが、二男は兄弟4人は「焼き肉の米内」で「残念会」を開いていました。 我々夫婦も最初の10分程度、一緒にテーブルを囲み、二男を労いました。 思いの外、ふっきれたような二男の顔に皆驚きながらも、、、、、 家内:「惜しかったネ。。。。」 私:「最初の二人はボールに触れていたよネ」と聞くと、、、、 二男:「うん、でも弾けなかったのは今までの3年間の甘さが出たんだと思う。 自分がもっと成長していたらと思うと悔しい。。。。 でも、今日の試合は良く攻めて呉れたと思うし、今年最高の試合だったと思っている、、、、 だからこそ自分が止められなかったことが悔しいけどネ。。。。」 長男:「盛商のサッカー、見ていて楽しかったヨ みんな個々の能力は高いよネ」 二男:「でしょっ、みんな良いもの持ってるヨ それを出させられなかったのは自分のせいだと思う。。。。」 長女:「サッカーは良く分かんないけど、○○(二男)は頑張ったヨ」 二女:「そうだよ、盛岡で3年間良くやった」 二男:「取り敢えず、3年間ありがとう。 これからの大学4年間も今以上に頑張って、プロに成るから、、、それが本当の恩返しだから。。。それ迄また応援してネ」 全員:「わかった!!」 のような会話がありました。 二男は二男なりに自分の高校サッカーに終止符を打ったようです。 それを裏付けるように二男からのメールが、、、、 「昨日はみんな仕事休みとってわざわざ岩手まで来てくれたのに全国に出れなくてごめんなさい。 三年間みんなに支えられて、家族みんなのサポートがあったらこそここまで来れたんだと思います。 優勝できなかったのは三年間の甘さがPKに出ちゃったんだと思います。優勝できなくてごめんなさい。 おっと、おっかに感謝の気持ちでいっぱいです。わざわざ岩手に進学させてもらって何度も何度も足運んでくれて、金銭的にも、体力的にも大変だったと思います。 最後の最後に笑わせることができなかったことが唯一の後悔です。あとは岩手に来て、盛商に来て後悔は一切ありません。 斎藤先生はじめたくさんの人が岩手でも僕を支えてくれました。岩手に来て自分自身大きくなれたと思います。 昨日の試合で確信しました。僕は盛商が大好きで、盛商に来て本当に本当によかったです。 高校サッカーはこれでおしまいですが、高校生活はまだあります。先生方に感謝の気持ちを忘れずに今まで通りの生活を送ります。 おっとは心配してましたが、僕はそんなバカじゃないので安心してくださぃ 大学では絶対に負けません。負けて経験するのもはもぅ経験しました。あとは勝って経験するものだけで十分です。 僕の親孝行はプロになることだと信じています。だからプロになるまであともう少し、我慢してサポートしてくださぃ。お願いします。 おっととおっかの子供として生まれてこれたこと ま○ちゃん(長女の愛称)、あ○(二女の愛称)ちゃん、で○(長男の愛称)くんという姉弟がいることを本当に感謝しています。三年間ありがとう! これからもよろしく」 二男が言うように、二男は盛岡に来て、盛岡商業の生徒と成り、盛岡商業サッカー部員と成り、本当に沢山の方に支えられてきたと思います。 ありがとうございました。 1・2年生の時には、本当に生意気で「殴ってやろうか」と多くの先生方や部員の皆さんに思われていたと思います。。。。 その二男も成長して呉れました。。。。 成長させて頂きました。 本当に感謝しています。 岩手県には来たこともなかった我々家族を温かく迎えて頂いたことを本当に心より感謝しています。 この盛岡商業高等学校へ二男が入学したことを本当に誇りに思います。 二男が盛岡商業高等学校への入学を希望した理由は、、、、、 二男が中学2年生の夏に所属していた「横浜栄FC」の夏合宿で菅平でのことです。。。 横浜栄FCのGKコーチを務められていた吉田コーチ(盛岡商業とでも臨時GKコーチとしても在籍)からGK練習を受けているときに、 「お前は神奈川の高校には合わない、盛岡商業でサッカーした方が良いゾ 盛岡商業で全国を経験して来い」 と言われたことがきっかけでした。 二男は尊敬するコーチから、、自分のサッカーには盛岡商業が合って居るとの提案を素直に受け、盛岡商業へ行くと決めたそうです。。。。 中学3年生の5月に神奈川県の強豪校と言われる高校からのお誘いが横浜栄FCに届きますが、練習に参加し全力でプレーはするものの「俺は岩手に行く」の一点張りでした。。。。 また、県TCや関東TCなどにも「経験だから」と積極的に参加していました。 そして、国体強化選手として神奈川県サッカー協会から選抜された旨の通知が来た日に「俺は盛商へ行くから、神奈川県の高校以外への進学を理由として参加できないことを協会へ連絡して欲しい」と言われました。 この時、二男は本当に岩手へ行く気なのだと悟ったのです。 これからが忙しかった。。。。。 16歳以下の二男は単身盛岡へは住所を移せないため、中学3年生の10月に家内と二男は盛岡市民に、、、、そして、盛岡市立の中学校へ転校したのです。 但し、当時働いていた家内は12月01日からでないと盛岡へは行けないとの理由で、携帯電話&ネット環境があればOKの私が10・11月三度の食事(お弁当作り)の世話や掃除洗濯をこなすことと成りました。。。。(懐かしい) 盛商生徒と成ったあとは、本当にあっと言う間に過ぎ去りました。。。。 i-Leagueだプリンスだと東北6県を走り回りました。。。。。 (※お陰で新車購入の愛車は現在11万キロ走行ですが、本当に良い経験をさせて貰えました。 二男には感謝しています。ありがとう) 二男の盛岡商業高等学校の生徒としての期間は、もう少し残っていますが、サッカー部の現役は終わりました。。。。 盛岡商業高等学校サッカー部関係者の皆さんには、本当にお世話に成りました。 これからも盛岡商業高等学校サッカー部のOBとして二男を、あすなろ会のOBとしての我々夫婦を温かくお迎え頂ければと思います。 又、多くの同級生が各地の大学でサッカーを続けるとのこと、今度は対戦相手かもしれませんが、共に息子達の成長を報告し合える関係を今後も続けていければと思います。 宜しくお願い致します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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