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テーマ:夢を叶える人になる(1191)
カテゴリ:ド短期セブ語学留学
私たちは、少しマジメになりすぎた。
元々「ワクワク」「たのしさ」に惹かれて集まったメンバーだし、お客さんだったはずだ。 フィリピンへ来て、ファニーな人々の中にいると、ユーモアの大切さを思い知る。 私は、「私マジメ過ぎたんじゃないか?いちいちシリアスになりすぎでは?? 先生がどう思っているか、今度聞いてみよう」とか考えちゃうくらい、 マジメ過ぎである(笑) プレゼンテーションの時間に行った、 ユーモアを全面に押し出した、自己紹介は大成功だった。 インパクトがあったからきっと聞いた人は忘れないと思うし、 「この人と話してみたい」と思ってもらえた。 私が、都会の敏感さに疲れているように、 細やかに気付きすぎる日本の生活に疲れている人も多いはず。 私が南国の国々に行くたびに感じる、おおらかさ、陽気さ、心地のいいテキトー感、 空気を読まない人達、さわやかな空気、美しくて広々とした自然、 いい感じに盛り上げてくれるアクティビティのキャスト達・・・テンプロは、 そういうものを価値として提供する場所になればいいのでは? 南国リゾート風味のセミナー会社とか、どうよ? 細やかなサービスを目指してきたけど、センシティブすぎたと思うんだよね。 「あそこは外国」「あの人達は外国人だから」と言われるような 会社になればいいんじゃない? オフィスは絶対リゾート風味にしよう! 英語を使っていると、難しい日本語の言い回しが出てこなくなる。 でも、その方がシンプルでいいかもしれないな。 フィリピンの人に学んだことを社訓に取り入れるとしたら、 たとえばさ、こんな感じとか(^▽^) ・空気は読むな、作り出せ。 (Don't read the atmosphere. Make it!) ・ユーモアはマジメより身を助ける (Humor is more helpful than serously) ・誰とでも友達になれ。 (Make friends with everyone) ・個性的であれ。笑える一芸を身につけよ<社長命令♪> (Be individually. Master an laughing art.) あははっ。 私、先進国よりも、発展途上国が好きなのだと気づいてしまった。 先進国は、私にとって疲れる場所なんです。 発展途上国にいると、「悪い人もいる」ということが、当然である。 スリ、ホールドアップ、詐欺、ちょっとクレイジーな人達。 実は、素直にその現実を受け入れられるということも、心地よさの一因なのだとわかった。 日本にいると、「疑う」ということがナンセンスなことのように感じられる。 私は基本的に性善説で生きているし、どんな悪人も私の前では悪人でなくなると、 勝手に信じているところがあるけれど、それと同時に、 目の前の人の立場に立って考えられない人もいるという事も知っている。 一体誰が、疑うということを禁止したの? けれど、「人を疑ってはいけない」、そう感じてしまいやすいんだ。 そして、つたない英語力ゆえに、 シンプルな言葉でシンプルに言い切ってしまうのも心地いい。 日本語で日記を書き始めると、前置きが長くなって困る。 たがいなく伝えようとしすぎて、本質や面白味がなくなってしまう。 つたない英語では、「誤解されて当然だ」という前提をもっている。 誤解を、受け入れている。 誤解されたままのこともあるだろうけれど、いたしかたない。 悪い方に誤解されることもあれば、いい方に勝手に解釈されていることもある。 それでいい。 プラマイゼロだ。 「誤解されて当然、伝わらなくて当然」と思っているからこそ、 少し伝わるだけでも嬉しいし、わかってくれるだけで好感が持てる。 一方、お互いに日本人同士だと、 どうしても「わかってあげられて当然」というプレッシャーと、 「わかってもらえて当然」という期待が入り混じってしまう。 そして、ささいな「違い」に敏感になってしまう。 わかりすぎる、空気が読め過ぎることで、敏感になりすぎている。 これは、”違いアレルギー”とも言うべき、ある種の過敏症だ。 単一民族(ではないけど本当は)、島国国家独特の悩みなんだろう。 移民国家のような「お互いへの理解(共通点を見出すこと)の促進が国家課題」 なんて国とは正反対で、いかに違い(個性)を見つけだすか、 努力しないと得られないので、みんな自分が何者かわからなくなってしまう。 これまで行ったどの国よりも、日本人は、バリエーションが少ない。 顔の作り、身長、肌の色、ファッション、ものの考え方・・・。 欧米諸国に比べたら、日本人の「太ってる」なんて、誤差の範囲だと思うんだけど^^; その少ないバリエーションの中で、個性を見出そうとする一方、 人間の本能として異質なものを排除しようという力が作用してしまうから、 お互いの違いに過敏になり、やたらと細かくなってしまうのだろう。 共通認識であると思っている領域が広過ぎるから、 みんなが知っている事を知らなくて 「えっそんな事も知らないの?」と思われることを恐れてしまうということもある。 でも本当は、他人同士なのである。 そのことへの本質的理解が、しばしばなくなる。 それが心地いい人もいるだろうけど、私にとってはストレスなんである。 そしてそれは、私一人だけではないだろう。 均一化しすぎて過敏症になっている日本人を、 価値観のバリエーションを広げてあげることで、ラクにしてあげる。 違いを大きくすることは、最初はストレスだけれど、 現状にはないリラックス感も作り出してくれる。 それをするのが天職プロデュースという会社、ということでもいいんじゃないか。 そんな事を考えていて、よく眠れなかった朝。 「マジメ」と一口に言っても、いろいろある。 serious: 真剣。色んな意味を含む sober: 冷静、節度ある、生真面目な honest: 誠実な grave: 重々しい、厳粛な、明るさがなく考え込んだ solemn: しかめつらしい、謹厳な reliable: 信頼できる、確実な earnest: 熱心な、本気な 必要なマジメさと、要らないマジメさがあるけれど、 私たちは、混同してきてしまったのじゃないか? 実は、今、日本に戻ってしまうことが怖い。 せっかく視野を広げられたけど、戻って改革すると、 また狭くなってしまうんじゃないかと。 異なる環境に身をおきながら、リモートコントロールしていたい。 コーチという仕事のとおり、外側から見て、新たな視点を与えられる私でありたい。 「普段は少し離れたところにいる」というのは、 私にとって本当に本当に大切なことのようだ。 (少しさびしさもあるけれど、心地よさもある) 二週間のインプットが、次第に熟成されてきて、 今、アウトプットできるような形になって、私の中にある。 なんて価値ある体験なんだろう!!! こういう体験を、多くの人にさせてあげたい。 私にとってそれは別の国にいることで創れるのだけど、 触媒は人によって違うだろう。 セミナーとは、国内にいながらにしてこういう事ができるようなものであるべきだと思うし、 もしも、"これほどの"体験を作り出すことができたなら、 スタッフも参加者も、日々の慈しみに満ちてくるにちがいない。 この"感覚"、たとえるなら、絵や詩をかく時のような「この感じを表現したい」と 自分の中につかまえ続けているイメージのしっぽのようなものが、 日本に帰って状況の只中に入り込んでしまうと、 私の手からすり抜けていってしまうような気がしてならない。 だから、あと二週間で帰ってしまうのがこわい。 できるなら、延長できないかとマネージしてみようと思っているところだ。 ある程度の改革を、ここにいる間に行ってしまいたい。 その絵を壁に飾ったときどうなるのか客観的に見ながら、絵を描きたいのだ。 それが、ビジネスクリエイターである自分を、存分に発揮させる結果になると思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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