レッドダイアモンズ◆◆◆

浦和レッドダイアモンズ                 2004/10/02
浦和レッズおよび三菱には2つの恩がある。
一つは、私のサッカーワールドでの愛人(つまり本妻は水戸ホーリーホック)である
アビスパ福岡の応援団に応援のしかたを教えてくれたという恩だ。
これは福岡天神の屋台で偶然知り合ったアビスパの応援団のチーフが、浦和レッズの応援団のチーフに、いろいろ指摘を受けつつ飲んでいたことからわかったことだ。浦和レッズ応援団幹部の鈴木さんが、福岡出張の折に、後輩でかつては、浦和でレッズを応援していたが里帰りしてアビスパの応援をすることになった後輩を激励していた姿を目撃したのだ。鈴木さんとは、その後、一度、仕事で「アビスパが心配」というサイトを作っていたときに、浦和レッズサポーターからの挑戦状という寄稿コメントをいただいたりもした。
レッズの応援団は、サッカーと地元、サッカーと日本という、「サッカーが作り出す風土や地域文化」への意識が高いのではないか、と思っている。
もう一つは、今から25年ほど前だろうか、「東京12チャンネル(今のテレビ東京)」で当時唯一のサッカー中継番組である「三菱ダイヤモンドサッカー」の放映とスポンサードを通して、私とサッカーの出会いを作ってくれたという、私のサッカー人生上もっとも大きいともいえる恩である。クラウス・フィッシャー、ベルティ・フォクツ、カール・ハインツ・ルンメニゲ、ライナーボンホフ、ロジェ・ファン・ゴール、アラン・シモンセンなど当時のブンデスリーグで活躍していたスターたちは、僕の憧れでもあった。ケビン・キーガン、クライブ・ウッズなどイングランドリーグの選手を知ったのも、いや、それ以前にヨーロッパ各国にサッカーリーグがあって、サッカーってどうやら国際的なんだ、ということもこの番組を通してわかった。岡野俊一郎さんの一つのプレーからその地域の文化・風土にまで掘り下げられるお話は、少年の心をおおいにときめかせた。私の中では、あの名解説(ついでに金子アナウンサーの安心できる存在感。サッカーに対する愛情)を超える解説は25年後の今日でもない。

さて、話は浦和レッズに戻すが、J発足の時の私の好感度は高かった。はっきりドイツサッカー志向をしていたのが、三菱ダイヤモンドサッカーを彷彿させていたし、静岡ほどちゃらちゃらしてない関東のもう一つのサッカー王国埼玉を代表するチームだったし、ユニフォームだって、衿つきのアングロサクソン系の硬派でしぶいものであった。
けど、心底ほれられなかったのは、好みの選手がいなかったからである。そして致命的だったのは「ミスターレッズ」といわれているチームの顔福田選手の良さがまったくわからなかったからだ。
チームの経営に関する方針や企業風土の難はよく巷間にも知られていたし、今ひとつピンとこないチームだった。ただ、サポーターの想いは日本一であるだろうと想像していた。

その後も、犬よりも速い岡野、ベギリシュタイン、ブッフバルト、小野伸二などなど、彗星のように現れた名選手はいたが、チーム力として何か病に冒されているような匂いをいつも漂わせていたといったら、言いすぎだろうか・・

今期はブッフバルト監督を迎え、快速エメルソン、田中達也、永遠の好青年 坪井、サッカー界のホスト 永井、そして愛すべき私の息子 闘莉王という私好みの選手がたくさんいるからぜひがんばってもらいたい。三都主、山瀬はどうしても好みではないが、まあ、そんなこともある。

■戦国武将でいったら 武田信玄

快速騎馬隊を長駆させ、敵の囲みをずたずたに、完膚なきまで叩きつぶす。24将にも負けないキラ星のような名選手が続々入団し、ちゃんと実力を発揮しているスター軍団でもある。サポーターの「人間力」でもっているチームであるところも「人は石垣」と明言した武田信玄と共通している。

■サルサで言えば、 ウイリーロザリオの「ジュビア(雨)」。

マイナー調のスピード感ある疾走で、ハイドロプレーニング現象もなんのその、どこまでも飛ばしていく。キレのあるホーン陣が印象的なフレーズを吹き上げ、明日への希望と活力を与えて今宵をしめくくる。そんなリスナー思いの「魅せる」作品(ゲーム)であるところが似ている。



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