テーマ:シャンソン&カンツオーネ(1)
カテゴリ:好きなこと
2006/04/27 giovedi
や~っと行ってきた。 行こう行こうと思ってもなかなか行けない。 言ってみれば、私の優柔不断さ故なのだが・・・ 今日も降ったり止んだり不安定なお天気。 こんな日は、どうしても咳が出るし、このところ調子が良くなったはずの声もおかしいし、 とにかく、届けるもの届けて、チケット買って、みんなの歌聴いてくればいい。 着いた時は、りり子さんは外出中。 でも、今日のピアニストYKさんは古いお馴染み。 と言っても何しろ年に2・3回しか行かない私だけど、初めて会ったのはもう10数年も前になる。 「何歌うの?」 「歌えないのよ。声変わっちゃったし、キー変わっちゃったから 譜面も書き換えないといけないし・・・」 「でも、シャンソンはいろんな歌あるから、もっとほらさ~、違うの歌えばいいんじゃない?」 今までどちらかというと、フレンチポップスみたいな軽快なのが好きで歌ってたこと彼女は知ってるから、 「その声だったら、大人っぽいの歌えるじゃない」 でもやっぱり、今日のところは聴きながら考えよう。 ポルナレフの「渚の思い出」はやっぱりいいなあ~、なんて聴いているうちに、 隣の席が訳詞論で盛り上がっている。 そもそも、フランス語の詞をそのまま訳したら、とてもメロディに納まるはずはない。 例えば、”je”なら1音で済むけれど、日本語にすれば”ワタシワ”と4音になってしまう。 フランス語は殆ど分からないのだが、推して知るべしだ。 必然、意訳にならざるを得ず、訳す人によってかなりの違いが出て 、訳詞家の技量と歌い手の好みとで、 同じ歌もいろいろに歌われることになる。 それがまた、日本語で歌うシャンソンの面白さになってもいるのだが、 隣の席での結論は、どうやら訳詞ではなく、作詞と思った方がイイ ということになったらしい。 そうこうしているうちにりり子さん帰ってきて、 「楽譜なくったって大丈夫よ、キーなんてどうにでもなるから歌ったら~」 そばで、YKさんも 「私の孤独なんかいいんじゃない」 「そうそう、あれ音域狭いから」 「あの歌好きだけど~、コワイのよね」と私。 結局、歌詞本借りて、歌ってみることに。 ジョルジュ・ムスタキの代表作だけど、その歌詞(訳詞)は、 ず~っと一人っきりで寂しく生きてきたのだけど、 今では孤独という友達がいつでも寄り添ってくれているので大丈夫 というもの。 なんとも哲学的? いえいえホラーです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月30日 22時28分01秒
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