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2009.06.27
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カテゴリ:日本史
 飛鳥には推古女帝の小墾田宮をはじめ、いくつかの王宮が集中して営まれていた。中でも注目されるのは、伝飛鳥板蓋宮跡と呼ばれている宮殿遺跡。これは発掘から舒明から天武に至る四代の大王の宮殿跡だったことが判明している。これら宮がどのような変遷をしてきたかを概観しようというのが、本日の内容でした。

 飛鳥時代とは、推古大王が豊浦宮に即位した6世紀末から、元明天皇が平城京に遷都(710年)するまでの約100年間を指すが、歴史的意義においては、694年に持統天皇が藤原京を造営したことをもって終わる。この間歴代大王は一代ごとに宮を造営してきていたが、この間に飛鳥を離れたのはわずか3人だけであった。孝徳の難波宮と天智、弘文の近江大津宮のわずか15年に過ぎなかった。その間も留守官を任命し維持されており、飛鳥は捨てられていたわけではなかった。

1 豊浦宮(592~603)推古女帝による。その後推古から蘇我蝦夷に下賜される(蝦夷の住居と豊浦寺を造営)。
2 小墾田宮(603~628)同地に奈良時代淳仁朝の「小治田宮」もあった可能性。
3 飛鳥岡本宮(630~636)(伝飛鳥板蓋宮跡1期)舒明朝の飛鳥岡本宮の後、後飛鳥本宮・飛鳥浄御原宮が営まれたようだ。
4 飛鳥板蓋宮(643~655)(伝飛鳥板蓋宮跡2期)皇極朝による。645年乙巳の変
5 飛鳥川辺行宮 もがり宮の可能性。
6 飛鳥川原宮(655~656)斉明朝(皇極が再度即位)の飛鳥板蓋宮が火災にあった後、後飛鳥岡本宮を造営するまでの間、一時的に遷った宮。
7 後飛鳥岡本宮(656~667)舒明朝の飛鳥岡本宮と同じ場所と推定される。伝飛鳥板蓋宮跡の上層の遺構が有力視されている。水路が設けられており、飛鳥板蓋宮の火災を教訓にしているようだ。
7 明日香浄御原宮(672~694)(伝飛鳥板蓋宮跡3-B期)後飛鳥岡本宮の施設を使いながら、新たな施設を増築・再整備したようだ。

 





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Last updated  2009.06.29 09:21:55
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