627598 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

chiki_cat

chiki_cat

カレンダー

日記/記事の投稿

カテゴリ

バックナンバー

2024年10月
2024年09月
2024年08月
2024年07月
2024年06月

フリーページ

お気に入りブログ

日本語教師日記 スンデクッパさん
大分&熊本 観光計画… あきちゃん1010さん
旅、海外生活、そし… ろっくん2さん
火の鳥 Ronaldo1969さん
Sato's U.S.A Life☆… E&SATOさん
ハーブコア ♣ 高木… 松下一郎さん
テン・テン・テレツ… おもしろや画笑さん
 BLOG* color_chartさん
モンキー茶~坊のバ… 茶~坊55さん
毎日がSpecial♪ cosmos_26さん
2005年08月13日
XML
カテゴリ:家族の話
今日からお盆、両親ものんびり過ごしている。妹は婚約者とブライダルなんたらでくそ暑い熊本市内へ行っている。私といえば、昨日から母といっしょに祖父のお墓参りに行こうと話していた。母が仏壇の掃除を終えて午前10時くらいにうちを出た。途中で花を買ったはいいものの、母は線香とろうそく、お供えする缶ビールを持ってくるのを忘れていた。お墓に花を飾り、お参りをしたものの、祖父は私たちが来たことに気がついただろうか?

祖父は生前板前だった。祖父の母も料理人で、この市内の名物料理、魚の頭料理は実はこの曾祖母が考え出したものだと聞いたことがある。祖父は市内に小さな食堂を持っていた。本当に料理が上手で、祖父のところへ泊りに行ったときにはいつもおいしい料理を作って食べさせてくれた。味噌汁ひとつでもほかの人が作るよりおいしかったくらいだ。若い頃に祖母を亡くしているものだから、男手ひとつで4人の娘と1人の息子を育てた立派な祖父だ。

祖父には私を含めて11人の孫がいた。彼は誰がいちばんかわいいだとか、そんな分け隔てをすることもなく私たちをかわいがってくれた。クリスマスには孫のいるそれぞれの家庭へ大きなクリスマスケーキを届けてくれた。夏は浴衣を着せてくれて夜市へ連れて行ってくれた。夜市ではなんでも買ってくれる優しい祖父だったが、綿あめ、イカなどは決して買ってくれなかった。人一倍心配性で、のどに引っ掛けてしまうことを恐れていたのだ。

祖父の食堂の近くには警察署があった。祖父は何十年と監獄に入れられている人たちの給食を作り続けていた。県警に表彰され、新聞に写真入で載ったこともある。祖父のおいしい料理を食べられるなんて、捕まった人はラッキーだ!また、書、絵画の才能があり、歌もすばらしくうまかった。ラジオ番組で『荒城の月』を披露したこともあるんだそうだ。孫の私たちはそれぞれ、料理や美術が得意な者が多い。また、ほとんどみんな歌がうまいのだ。これは祖父の血だ。

そんな自慢の祖父も、食堂を失ってから弱り始めた。十数年前、市内を襲った大雨で川が増水し、祖父の食堂は水に浸かってしまったのだ。食堂の2階に住んでいたが、2階の畳が浮き上がるほどの大洪水だった。お店を閉じて急に年を取った気がした。そしてついには立てなくなった。立てなくなったときにはもう末期の肺がんだったのだそうだ。

まもなく老人介護施設に入ったが、その時はすでに痴呆症だった。私がワーキングホリデーでニュージーランドに飛び立つ前日、叔母が祖父にそのことを告げた。私はその場にいなかったのだけど、祖父は一瞬正気に戻り、
「世話ねぇんか(大丈夫なのか)?まあ、あん子は言い出したら聞かんきのぅ(あの子は言い出したら聞かないからなぁ)」
と言ったのだそうだ。

それから3ヶ月して祖父は亡くなった。私は日本にいなかったので立ち会えなかった。だから、その分お墓参りはたくさんするようにしている。祖父のお墓に参る時、私はいつも祖父にお願い事ばかりしている。そのお願いをほとんどかなえてくれるから不思議なものだ。今でも見守ってくれているんだな。また祖父の作った料理が食べたくなった。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年03月30日 10時21分16秒
コメント(12) | コメントを書く
[家族の話] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X