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テーマ:京都。(6114)
カテゴリ:国内の旅
■秋の京都&奈良の旅-その2■(その1はこちら)
私のこのブログを長く読んでいただいている方はご存じのとおり、私は石仏をはじめ石造文化財好きです。石造文化財のシェアが全国の80%を誇る大分県に住んでいるので、ちょっと足をのばせば近場で見ることができるし、楽しみでもあります。石像だけでなく、仏像や仏教に関すること、寺社仏閣めぐりが大好き。趣味の範囲なので信心深くはありませんので…。 今回私の行きたかった化野(あだしの)念仏寺は、その写真を見た瞬間から行きたくてたまらない場所でした。お寺の境内一面に並ぶ、野ざらしの石仏や石塔の数々。今回、京都に行くと決めた時も、何はさておき、ここだけは見ておかなくちゃという一念で向かった場所です。 さて、この化野念仏寺ですが、京の町家や萱葺き屋根の民家が残る、嵯峨の昔ながらの景観を残した嵯峨鳥居本の町並み沿いにあります。お土産物屋さんの並ぶ坂道の途中から化野念仏寺へ行く石段のそばに車を停めて境内へあがりました(拝観料500円)。 散策路に入るとすぐ、石仏が。 ここ化野は平安時代、都の外れにあった風葬地でした。亡くなった方の遺体がこの地に山積みにされ、風にさらされて骨となった無縁仏でした。あまりの荒れように悲しんだ弘法大師(空海)はここに五智山如来寺を建て、野ざらしになっていた遺骸を集めて一体一体埋葬したといわれます。その後、法然上人がここに念仏道場を開き、天台宗から浄土宗に転向し、名も華西山東漸院(かさいざんとうぜんいん)念仏寺としました。本尊は運慶作といわれる阿弥陀如来です(撮影していません)。 境内には「西院の河原」とよばれる約8000体にもおよぶ石塔石仏があります。そう、私はこれが見たかったんです。 西院の河原(外から撮影。中では撮影禁止) この石仏と石塔は、もとは化野一帯に散乱していたものを明治36年ごろに集めたもので、室町時代の作を中心に鎌倉から江戸時代まで渡っています。雨風にさらされて顔のわからなくなった仏様がほとんどですが、中には表情のわかるもの、苔むしたものなど、様々な仏様が並んでいます。 そもそも、「あだし」とは「徒し(あだし)」、「空し(あだし)」の字があてられ、「空しい、儚い」の意味がありました。それが化野となったのは、「化」という字は死者が化して生に転ずる、すなわち死から現世に戻ることを願いとしています。紅葉がうっすらと始まっていましたが、雨がそぼ降る化野の地がいっそう寂しく見えました。 お寺の奥の方に、竹林の散策路がありました。 その小道を抜けると、六面地蔵が。 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界のいずれに陥った人も救ってくださるお地蔵様なのだそうです。六角形の屋根から水が流れ落ちており、ひしゃくに水を汲んで水をかけてお参りするのは、水によって罪障を洗い流していただく意味が込められています。お参りの時に何か不思議な念仏か何かがあったのですが、覚えていません。友人はひとつひとつに水をかけながら、ちゃんとお参りしていました。私、見てただけ…。 化野念仏寺では、毎年8月23日と24日に無縁仏を供養する千灯供養祭が催されます。石仏、石塔ひとつひとつにろうそくの灯がともされるそうです。この千灯供養祭にもいつか来てみたいと思いました。 つづく…(次回は嵯峨野のスウィーツのお話です) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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