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野末陳平通信  (メール:nozuchin87@yahoo.co.jp)

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2020/03/15
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​​​​​漢詩百篇の暗記、ボチボチ進んでますが、なにしろ室内でもヨボヨボ歩きの老骨ゆえ、思うようには捗っていないのが残念無念。
誰にもおなじみの「秋浦歌」(其十五)にぶつかりました。
今日は李白の詩を中心に勉強してますが、
「白髪三千丈
 愁いに縁りて、かくの如く長し
 知らず、明鏡の裏
 何れの処にか秋霜を得たる」
李白晩年の作。秋浦というのは地名で、李白がここで老いを迎えた時の連作十七首のひとつですが、
「白髪三千丈」
この一句はあまりにも有名です。三千丈も白髪がのびてしまうくらい、李白の人生は変転きわまりなくて、老いの愁いがぼくにも伝わりますが、ぼくが注目するのは、
「知らず、明鏡の裏」
ここです。チンペイ君としては、鏡を見るのがイヤでねえ。老いぼれた自分の顔と向きあうと、
「おい、ウソだろう。こんな老人がオレかよ?」
と泣きたくなります。鏡の表面に映る顔はまさに老いぼれですが、鏡の裏にはもっと悲惨な自分の顔が隠れてるのではないか、と複雑な思いになります。
「明鏡の裏」は「ウラ」と読まずに、「ウチ」と解するのが漢詩読解の常識ですが、鏡にうつる老いの顔に李白が愕然とした心境の一句であるのは間違いありません。
「どれだけ、わしは苦悩苦闘してきたか」
この老残の思いを、
「どこで秋霜を得たのやら」
このように結んだ、この五言絶句にしびれます。
李白はまた別の詩で、
「飛流直下三千尺」(盧山の瀑布を望む)
こんな名文句も残してますが、この三千尺は李白が若くて勢いのある時代。滝の落ちる勢いに自分を重ねたわけで、誰しも若いころは激しい滝のようであってほしいが、年を重ねると、
「白髪三千丈」
こうなるのです。これだからこそ、漢詩は人生の勉強になります。
いくつになっても。






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Last updated  2020/03/15 08:07:18 AM


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