天国からの手紙
千里の夫ジョンです。今日は最後の投稿になります。千里の御葬式も終わり少々落ち着いてきたころ、義母から1通の手紙が届きました。それは、「自分が死んだ後、ジョン君に渡して欲しい」と彼女が秘かに書いていた生前最後のメッセージ。私はそんな手紙があるとも知らなかったから、まず驚いた。だって、彼女が手紙を書くと言っても最後は左手左眼が利かないし、起き上がることもできなかったんですよ。そんな状態でどうやって手紙を書いたのだろうか?いや、どんな気持ちだったのだろうか?聞くところによると、千里は死の10日前、看護師さんに「私はもう駄目だから、手が動くうちに手紙を残したい」と言って便箋とペンを頼んだとのこと。そしてベッドに横たわったまま義母に下敷きを固定してもらって、右手だけで3日間もかかって必死に書き上げたそうです。手紙は全部で3枚。恐る恐る開封してみると、今までの楽しかった思い出や感謝が綴られていて、最後に(ノロケも言わせてもらいますが)「結婚生活は最高でした。何一つ嫌なことがなかった。」「家族の健康と幸せ、ずっと天国で祈ってます。」と締めくくられていました。書いている時は、さぞ苦しかったのでしょう。全部の字がブルブルと震えてました。それでも手紙を残してくれたこと。内容もさることながら、その姿を想像するだけで私は涙が止まりませんでした。千里、本当にありがとう。この手紙は一生大事にするからね。(息子の)ユータ(11才)とピースケ(7才)にも、それぞれ手紙が残されていて、「愛する息子へ。こんなに早く逝ってしまってごめんね」に始まり、途中は楽しい思い出が綴られ、最後に「きっと大丈夫。幸せになれるから。お母さんはずっと天国で見守っているよ」と、千里らしい優しい言葉で締めくくられていました。さぞ無念だったに違いありません。いつも元気なユータとピースケも、さすがに泣いて読んでました。さらに、やっぱり千里は母だったんですね。「14才になったユータへ」「14才になったピースケへ」という2通の手紙もあって、成長した彼らのことも心配だったのでしょう。これは今は開封しませんが、息子たちが14才になったとき、私からそっと渡してあげるつもりです。その時、きっと心の中のお母さんと語りあえるはずですから。ありがとう、千里。天国かあ、そっちの様子はどうなんだろうか?先に逝った(流産した)二人の娘たちには会えたのかな?残った3人は地獄に行かないように、とりあえずこっちで徳を積むよ。がんばるからね。いつかまた天国で会おう。さようなら。END:「千里&うさ子の乳がんスローライフ」皆様、本当にありがとうございました。今回をもって当ブログへの記事投稿は最後になります。ここ3回は夫の私が代筆していました。実のところ私自身が天国の千里にメッセージを書きたくて、このブログを利用していた面もありましたが、このままだと「そんなの自分のブログ作りなよ」って千里に怒られそうです(苦笑)。だから、我が家のその後の活動記録は別途ブログにしてみました。私の↓初体験ブログですが、良かったら覗いてみてくださいね。http://john1.blog100.fc2.com/では皆様、長い間のご愛顧、本当にありがとうございました。当面はこのブログを閉鎖しません。私もたまにここに来て彼女を偲びたいので。最後になりますが、千里が元気だったころ、彼女が病院で撮った「朝日」を皆様に送ります。千里はこの朝日を見て「きっと、いいことあるよ」って言ってました。皆様、本当にありがとうございました。さようなら。