カリブ!ポレポレ共話国

タンザニア・ポレポレ滞在記

タンザニア・ポレポレ滞在記♪

滞在場所:アフリカ・タンザニア国
期間:7月○○日~9月○○日

syoujo

ねこ2

ポレポレ滞在記

(ポレポレとはスワヒリ語でゆっくり、ゆったり、まあまあそんなに焦らずの意味)
※手伝いに現地で雇った若者たちが私達日本人によく使っていた言葉

ポレポレ滞在記(1)

 私が、アフリカのタンザニア国(旧タンガニーカと旧ザンジバルが連邦を組んだときている)へ出張したのは、かれこれ○○年前に遡る。(年がばれるが…)
 かの外務省の仕事で、(おおっと、まだ私の職業を明かしていなかったがHPサブタイトル「地図バカ日誌」で賢明な読者の方は推察されていると思うが、いわゆる地図を作る測量技術者である。

 外務省からの委託業務なので、パスポートも赤い表紙ではなく青い表紙で「外務省御用達」と書かれていたかは、記憶にないがなにしろ一般のものとは違っていたのを覚えている。
 英語が堪能でない同僚と小生の4人(通訳役の人は先遣隊で先に出発していた)が、いよいよ地球を西へ半周する旅に出かけるのであった。(パパーンと扇子を叩く)何しろ小生にとっては、北海道はおろか、本州からでたことのない未体験ゾーンで、ドキドキワクワク、現在のようにテレビでさえウルルン体験記みたいのものを放送していない時代であり?興味津々の出張であった。

 台北、バンコック、デリー、ドバイを経てセイシェル諸島で乗り換えて、タンザニアに行くところ、航空会社の都合で欠航となり、アフリカの高級リゾートであるセイシェル諸島のマヘ島で一週間のバカンス(ちょっと古い言葉かな)となった。しかし、「いざアフリカへ」と勇んで会社を出たからにぁは、奮闘努力してアフリカ大地を相手に正確な地図をいざ作らん…。と熱き血潮に燃えていたので、いつ出発できるか他の臨時便や何かないかと思い、焦っていたのはマチガイナーイ(長井かよー)勿論ホテル滞在費は全て航空会社持ちである。足止めを食ったその島は、ハワイなんかと違い海岸に人影は少なく、ヤシの木陰の下、ヨーロッパのお金持ちがゆったりと日光浴やシュノーケリングを楽しんでいる。若いブロンドの美しい女性達は、お約束のとおりトップレスで、インド洋に向かって沈む夕日とそれはそれは映画のワンシーンを見ているようでした。
 オープンテラスの海岸のレストランには、紅スズメ(名前は私がつけた)が私達のテーブルのパンをつつきに来ても、追い払うでもなく特に餌を与える風でもなく、人も小鳥たちも自然体でいられるそんな島に一週間もいられる幸せ…。
 蒸し暑くも寒くもない、さわやかな風におっとりとした現地の人々、インド・ヨーロッパ系の美形の持ち主が目に付く、美しい景色と温暖な気候にすっかりなじんできた頃に待望のタンザニア・ダルエスサラーム行きの飛行機が飛ぶことがわかった。(…。波乱の次号に続く)

kirimann


ポレポレ滞在記 (2)


 飛行場に着いて、私達が乗る飛行機は?…あれっ!日本国内ローカル線で使
っていたような小さな飛行機が待っている?
(※セーシェル諸島はアフリカ大陸の東側に位置し、海亀の島や海鳥の島等々大自然満載の大陸からは遠く遥か沖のインド洋上に浮かぶ諸島であーる。)
機体にTザニア航空とあるが、あれでいくのかよー。機内に搭乗するとやはり日本語のままで注意書きがあったりで、ゲゲー日本で現役引退した機種のようだ。
 乗客は、私達を除いてほとんどがアフリカ人とインド人のようだ。
 そうそう、前回触れなかったが、実は英語が堪能でない4人組がここまで、
順調にこれたのは、成田空港でひょんなことから同じ飛行機でタンザニアに帰国する研修生4人組と親しくなり、通訳の代役を務めてくれたからにほかならない。彼らも当然、同じ飛行機で母国に帰るわけである。
 何年ぶりかで帰国できるとあって、オオハシャギであったが当然のことだろう。日本で冶金、窯業(ようぎょうと読む、彼らから教わった)軽工業等を習得し、指導的な技術者になるのだろう。故郷に錦を飾るわけである。(当然、彼らは母国ではエリートであったろうが、日本では経済的に苦労したとのこと。)
 セーシェルで彼らともすっかり仲良しになっていたので(勿論、会話は日本語で)私達も気分はウキウキー。(やっとアフリカ本土の土が踏めるぅー)
 いざ、出発、離陸の段になって、驚いたことに乗客のほぼ全員が、一斉に合掌し、額につけてコーランのようなお祈りを始めたのである。
 さすが、アフリカ人だけあって、そのお祈りも最高のリズム感で、ジャズの原点のようで感心した。っと思ったがオイオイ待てよ。そんなにお祈りをしないと危ないのかよー。心配のほうの意識が勝った。
 途中、多少の揺れはあったが、無事タンザニアの首都ダルエス・サラームの飛行場に着陸することができた。(勿論、着陸の際はお約束のお祈りがあり、着陸に成功した時には、乗客全員から大きな拍手が起こった。勿論私達も…)

 その当時のダルエス・サラームの印象は、タンザニア国の首都で大都市に違いないが、街全体が疲弊しているのがわかった。人は大勢いるし自動車もたくさん走っているが、なんとなく人々の表情に活気がなく、途中で見た大きな工場もいくつも閉鎖されていて、建物もガラスが割れていたりで社会主義国の典型のような、そんな風景であった。
 私達は観光気分に浸る間もなく。道中、親しくなったタンザニアの研修生達とは別れて、一週間のブランクを取り返すべく早速、迅速に関係機関との挨拶や調整や作業準備にとりかかった。(プロジェクトXのテーマソングが流れる)
 一仕事終えて、海岸に行ってみた。大勢の男女が騒いでいるので近寄って、よく見ると巨大なタコを捕獲したところだった。あまりの大きさに肝を潰したが、その後に捕獲したタコを太ったオバサンが、棍棒で何度も何度も叩いていた。なんであんなに叩くのか?聞いてみたところ、叩くと柔らかくなり食べやすくなるとのこと。(へーえ、タコも食べるんだ~)
 海岸の屋台ででっかいエビを焼いていたので買って食す。形はイセエビみたい?だが、味はやや大味である。

 ホテルへ入ると料金の高い割に貧弱な設備で、エアコンも効いていない。夕食も何を食べたか覚えていないから、どんなメニューだったか、まあー想像がつく。
 夜中に、突然ギューギューン(車三つで轟のフレーズではなーい)と腹が鳴り出した。あたー、昼間に食ったイセエビか?トイレに駆け込んで用を足した後、トイレットペーパーは?と見るとわら半紙の質をもっと悪くしたのが名刺大の大きさで4~5枚置いてあるだけ。先輩上司から聞いていたけれど、トイレ事情は万国さまざまでネパールで数年間滞在した上司によれば、トイレには水の入った空き缶が置いてあり、用足し後は彼(か)の国では、左手の指で処理し、フィンガーボールよろしく、指を水で洗い済ませるとのこと。勿論、主食であるカレーライスなどは、清浄な右手でライスとカレーをこねて食すのが常識である。
 間違っても、現地の赤ちゃんの頭などを左手で撫でてはイケナーイ。左手は不浄な手なのでアール。(ここはウルルンの下條アトムの口調で読む)
 海外経験豊富な他の先輩に聞いた話だが、ある国に行った時の話だが、トイレにロープがぶら下がっているので、何に使うのか聞いてみたところ、用足しの後にロープに跨り、後処理をするのだそうだ。国さまざまである。ただし、○○年前の話なので現在はどうなっているかは、保証の限りではない。
 その後。腹の具合は、心配することはなかったが一晩中、赤道直下の猛暑にぐったりし、眠れずに朝を迎えるのであった。今日からいよいよ現地進入である。

 キタナイ話ばかりで、一向に前へ進まず恐縮ですが、次号よりマサイ族が居住する現地編に突入します。乞うご期待!(誰も期待してないて)



lion


ポレポレ滞在記 (3)


 現地への道程は、想像を超えて非常遠く感じた。
高速道路はおろか、舗装道路もなく、真っ赤な大地が延々と続く…本当にこの道?でいいのかよー。





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