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カテゴリ:ラ~ロ
リタ・ヘイワース、彼女ほどもっとも壮絶で、もっとも悲壮な生き方をしたスターはいないだろう。グラマーでセクシーなイメージは青春前期の私を一時期映画館の虜にした。
リタは1918年10月17日、ニューヨーク市ブルックリンで生まれた。ジンジャー・ロジャースのいとこで、父はスパニッシュダンサー、母はジーグフェルド・ガールだった。彼女自身も12歳から舞台に立ち、十代のはじめにはなんと週に20ステージも踊っていたそうである。 私が初めて彼女の映画を見たのは、「血と砂」だった。リタを見るのが目的ではなく、タイロン・パワーを見に行ったのだが・・・。館を出たときにはリタに感電していた。 それから「ギルダ」である。有名なヒジまであるブラック・サテンの長手袋を少しずつ脱ぎ捨てるシーンなど私は画面を食い入るように眺めたものだ。 E・A・エリントンの原作を映画化!”’40年代のセックス・シンボル”リタ・ヘイワースの魅力が光るハード・ボイルド・サスペンス!手袋を踊りながら脱ぎ捨てるシーンはあまりにも有名!【DVD】◆ギルダ GILDA◆ 記憶に残るのは「情炎の女サロメ」、サロメに扮したリタが、蛇を身体に巻きつけて踊る場面は圧巻だった。 妖艶”リタ・ヘイワース主演!紀元前1世紀、新約聖書にも登場するガリラヤの王女の愛と波乱に満ちた半生!DVD未発売。■情炎の女 サロメ■ もう一つ忘れてならない作品がある。それは「カルメン」だ。何故ならリタの本名はマルガリータ・カルメン・カンシーノという。 セックス・アピール120%のリタだが、もう一本の路線はミュージカル・スターとしての顔だった。 アステアとの「踊る結婚式」「晴れて今宵は」ジーン・ケリーとの「カバーガール」など良品がある。 スターとしてのリタは一応の成功を収めたが、私生活は散々だったようだ。二人目のオースン・ウェルズとの結婚は破綻、三人目に選んだパキスタンのプレイボーイ王子、アリ・カーンとの恋があらゆる意味で彼女のキャリアを壊滅に追い込んでしまった。 3年後、カーンとの結婚に破れて映画界に復帰したとき、容色はめっきり衰え、人気もなかった。あれほど輝かしかったリタは、ウソのように消えてしまったのである。 その後、2度の結婚をしたものの、失意のうちに60年代にはアルツハイマーをわずらい、1987.5.14、天界の住人になった。享年68歳、悲壮な死であった。娘が二人いる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.18 11:15:56
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