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カテゴリ:サ~ソ
ソフィア・ローレン、彼女の映画で今も記憶に残っているのは、「ひまわり」だ。戦争によって無残に断ち切られた愛、そして愛のもろさ、別れのシーンは涙ボロボロだったのを覚えている。
「もう、昔とは違うわ。あなたは別の女・・・、私には別の男、それだけよ」 「・・・さようなら、ジョバンナ」 「さようなら、アントニオ」 ソフィア演じるジョバンナは、アントニオと永遠の別れを告げるのだ。哀切きわまる別れの名シーンだった。 彼女は1934年9月20日、イタリアのローマで生まれた。父親はソフィアの母に正式に結婚する気はないと言ったため、母と子はやむなくナポリの実家に身を寄せた。時は第2次世界大戦のさ中、母娘は食うや食わずの生活を強いられた。 父親の愛を知ることもなく、貧困の毎日。私生児とさげすまれながらも、自分で明るく生きた。戦後、ソフィアは自分のプロポーションのよさを”武器”に、ナポリの美人コンテストに出場、入選する。 しかし、苦しい生活は変わらず、彼女はヌードモデルなどの仕事で糊口をしのいだ。そして、ある美人コンテストで審査員をしていた映画プロデューサー、カルロ・ポンティとの出会いがソフィアの運命を変えた。 彼女より22歳年上の敏腕プロデューサーは、ソフィアのくっきりと目立つ顔立ちにスターの素質をみつけたのだ。 彼女は「海底のアフリカ」で主役デビュー、スターへの道を歩み始めた。ナポリの太陽のような明るさ、見事なプロポーション、どんな役でもこなす器用さ、全てがスターの資質だった。 この頃、ソフィアはポンティに恋心を抱き始めたが、彼には妻子がいた。揺れる心を抑えながら、ポンティの特訓で英語をマスター、イタリア訛りを克服、57年にはハリウッドに進出した。 「誇りと情熱」「ナポリ湾」「西部に賭ける女」「伯爵夫人」などに出演、しかし、ハリウッドで出た大多数の映画は酷評を浴び、彼女は女優として限界を感じるようになった。 ソフィアはポンティに相談、ポンティは彼女をイタリア映画に復帰させることにした。そして、彼女はヴィットリオ・デ・シーカ監督のイタリア映画「ふたりの女」(60)でアカデミー主演女優賞を獲得、名実ともにスター女優になったのである。 それからも彼女はイタリア映画はもちろん、アメリカ映画やフランス映画にも精力的に出演、ポンティが製作した「昨日・今日・明日」(63)、「あゝ結婚」(64)では2年連続してダヴィッド・ディ・ドナテッロ最優秀女優賞を受賞。女優として絶頂期を迎えたのである。 昨日・今日・明日 あゝ結婚 しかし、この頃、ソフィアはプライベートで大きな問題を抱えていた。妻子あるポンティといつしか愛し合うようになっていた彼女は57年、メキシコの裁判所でポンティの離婚が認められ、同時に二人は結婚した。 だが、カトリックの総本山・ヴァティカンは、ポンテイの離婚を認めず、二人は逆に重婚罪で告訴されたのだ。父親のいない家庭に育ったソフィアには、愛する人との結婚や、その人の子供を生むことは、女優として成功すること以上に大事なことであった。 64年、ポンティはイタリアの法律が及ばないフランスの国籍を取り、フランスの法廷がポンティの離婚を認めたため、66年4月、二人はようやく正式な夫婦と認められた。 ソフィアは二度の流産する悲しみに遭遇したが、68年、待望の長男、カルロ・ポンティ・Jrを出産した。彼女は幼い頃からの夢をやっと実現したのだ。 愛する夫とは2007年に死別したが、彼女はまだ75歳、一日でも長く生き抜いてほしいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.19 19:15:03
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