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テーマ:男優たちの華麗な酒盛り(277)
カテゴリ:ラ~ロ
ランドルフ・スコット、彼はB級西部劇の王者だったと私は思っている。今の若い人は名前もご存知ない方が多いだろうが、映画館で彼の西部劇をみて、しびれっ放しだったものだ。昭和26、7年(1951)頃、私が中学生のときである。
映画館の前を通るとランドルフ・スコットのポスターが貼ってあると、もう入らずに通り過ぎることは出来なかった。「地獄への道」「スポイラース」「西部魂」「サンタフェ」など、時間の経つのも忘れて見たものだった。 彼は1898年1月23日、バージニア州オレンジ郡で、織物工場の技術管理者の6人の子供の中で唯一の男子としてこの世に生まれた。ハイスクール卒業後、19歳で陸軍に入隊しフランスで従軍する。 その後ジョージア工科大学に進みアメリカンフットボールの選手として活躍、オール・アメリカンの候補にまでなったが背中を痛めてその夢を断念することになる。 ノースカロライナ大学に移り、父の跡を継ごうと織物技術を修得するが中退し、父親が勤務していた織物工場に会計士として勤務した。しかし1927年頃、演劇に強い興味を示し父親のツテを頼って幸運にもハワード・ヒューズと出会い、ヒューズの取り計らいにより、『三人水兵恋の行脚』(1928年)へエキストラ出演。 その後、数本の映画に端役で出演、そしてセシル・デミルの作品のテストを受け、出演には至らなかったが、彼の勧めでパサディナ・プレイハウスに入学し、演劇の訓練をした。 彼は幾つかの舞台に出演後、1931年にパラマウントと週給700ドルで7年契約を結ぶ。こうしてやっと映画俳優の足がかりをつかみ、翌年には「砂漠の遺産」(1932年)で主役を獲得した。ここから二枚目スターとして西部劇を中心にした活躍が始まったのである。 彼の他の西部劇作品としては、「ネバダ決死隊」「捨身の一撃」「静かなる対決」「昼下がりの決闘」などがある。 彼の作品系列で異才を放っているのは初期の作品だ。シャーリー・テンプルちゃんと共演した「農園の寵児」、アステア&ロジャースのミュージカル「艦隊を追って」、それに戦争映画「トリポリ魂 海兵隊よ永遠なれ」などがある。これは興味深いことだ。 こうして彼は「昼下がりの決闘」を最後に映画界から身を引き、1987年3月2日、この世を去った。享年89歳だった。結婚は2回している。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.11.30 21:46:13
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