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アリダ・ヴァリ、彼女の名前は名画「第三の男」のラスト・シーンで永久に映画史に語り継がれるであろうと思う。それくらう強烈なラストだった。
ハリー(オーソン・ウェルズ)の二度目の葬式のあと、並木道をわき目もふらず歩き去るアンナ(アリダ・ヴァリ)。一人道端でアンナを待っているハリーの友人だった男、ホリー(ジョセフ・コットン)。その眼前をただ前を向いて通り過ぎていくアンナの姿ははっきりと拒絶の意思を現わしているのだ。 チター一本で「第三の男」の映画音楽を完成させたアントン・カラスの作曲は実に見事なものであった。ロンドンのキャロル・リードの家に呼ばれたカラスは半年間、監督の家に”軟禁”され、作曲のためにラッシュ・フィルムを500回も観たという。 闇に刺す一条の光がハリーの顔を一瞬映し出す。事故死が偽装だったことがわかる衝撃的なこのシーンは、名場面の多いこの映画の中でも忘れられない場面だ。 だが、それ以上に並木道を歩き去るヴァリの姿は私たちの脳裏に永久に残ることであろう。 そして、もうひとつ、ヴァリの魅力を描き出した作品はヴィスコンティの映画「夏の嵐」と思う。官能の渦に飲み込まれ、不倫の愛にのめりこんでいく伯爵夫人の姿を描き出し、”女の業”を見せてくれた。 どちらの作品も長く映画ファンの記憶に止められることだろうと思う。 ヴァリは1921年5月31日、イタリア・イストリア半島のポーラ(現クロアチアのプーラ)で生まれた。両親共複数のルーツを持つ。 父方の祖父ルイージ・アルテンブルガー男爵はトレント出身オーストリア系イタリア人で、ジャンバプティスト・コントダルコの子孫。父方の祖母エリーサ・トマシはトレント生まれで、ローマ上院議員エットレ・トロメイの従姉妹。 ポーラ出身の母シルビア・オーベレッケル・デッラ・マルティナはライバハ(オーストリア)(現スロベニアのリュブリャナ)出身ドイツ系オーストリア人フェリクス・オーベレッケルが父、母ヴァージニア・デッラ・マルティナがポーラ出身。 本名は神聖ローマ帝国(ドイツ帝国)アリダ・マリア・ローラ・アルテンブルガー・フォン・メルケンステイン・フラウエンベルク男爵夫人。 ローマ第3大学博士号授与、フランス文化勲章受賞、イタリア騎士勲位受賞。ジャズ・ピアニストで作曲家、画家のオスカル・デ・メーヨと結婚し、2児に恵まれるも8年で離婚。 なんと言う凄い出自だろうか。読むだけで頭がクラクラして来そうだ。 15歳からローマの映画センターで演技を学び、1935年から映画に出るようになった。1941年の"Piccolo mondo antico"に出演、ヴェネチア国際映画祭で賞を受けるなど高い評価を受けた。 戦時中はファシスト政権を嫌って出演を断ったために逮捕されそうになったこともあったという。 その後デヴィッド・O・セルズニックと契約してハリウッド映画にも出演、だが、強い訛りのためか成功はしなかった。しかし、イタリアでは100本以上の映画に出演し、舞台にも出ており晩年まで活躍した。 ヴァリの作品を見てみよう。「パラダイン夫人の恋」「さすらい」「アポロンの地獄」「われら女性」などがある。 彼女は2006年4月22日、享年84歳で天国からのお迎えに従い、天使と階段を上って行った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.01.07 13:07:37
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