愛し愛されて生きるのさ。

2003/12/03(水)01:04

おかあさんといっしょ。

なんとなく、あくまでなんとなくNHK教育テレビの『おかあさんといっしょ』のホームページを見てみた。私にとっては『おかあさんといっしょ』といえば、じゃじゃ丸・ぴっころ・ぽろりであったが、キャラが総変わりしたらしく、スプー・ジャコビ・アネム・ズズ・ガタラットという何の動物をモチーフにしているのかもわからないキャラクターになっていた。色合いもサイケで、セサミストリートの影響が色濃くうかがえる。ああ、あの薄汚れたじゃじゃ丸・ぴっころ・ぽろりが懐かしい。この『おかあさんといっしょ』のホームページには「こんげつのうた」というコーナーがあり、今月は『おすしのピクニック』という歌らしい。寿司ネタがこぞってピクニックに出かけるというなかなかアバンギャルドな歌である。「ぼくはおすしのご・は・ん ちいさなちからもち」と始まるところからして、この歌の主人公は寿司のシャリであるらしい。マグロ・カツオ・ヒラメ・イカ・エビ・タマゴといった握り系のネタを「おんぶ組」と称し、カテゴライズしている。「おっとエビさん しっぽがでてるよ」「タマゴさん おちないでね ウへー」なるほど、社会の枠組みから外れることはよくないということを言いたいのであろうか。タマゴはすでにドロップアウト直前ということか。ネタの中でも圧倒的にタマゴは下位と見なされているようだ。「ウへー」というタマゴの叫びが社会で生きていくことの難しさを物語っているかのようだ。きゅうり・納豆・梅・おしんこといった面々は「海苔に巻かれる」ということで「だっこ組」とひとくくりにされている。「あーら あとからゴボウにシイタケ まとめてふとまきかしら ウヒャー」なるほど、ゴボウにシイタケというのはイマイチ子供たちに人気のない具材である。そして梅や納豆と比べ、寿司の具材として1種類のみでは成立しにくいものである。「個性が突出していないものはセグメントされる」ということが言いたいのであろうか。ここでもゴボウやシイタケの「ウヒャー」という悲鳴が哀しく響く。「寿司ネタがこぞってピクニックに行く」ということに必然性を求めてはいけない。「寿司」というカテゴリーの中に社会性を見出し、その社会の中で生きていくことの難しさを歌った歌なのだろう。この歌は「寿司」というユーモラスな題材をモチーフにしながらも、そこには「人間社会の厳しさ」が見え隠れしている。子供の頃からそれをサブリミナル的に刷り込んでいるのだろう。恐るべし、「おかあさんといっしょ」。私が通っていた幼稚園にも園歌なるものがあった。その歌の中に「ちんちん もがもが 石けりチョン」という、子供ながらにもどうにも解せない歌詞があった。「ちんちん」を「もがもが」だなんて!たとえ「ちんちん」が擬音のアクセントとして歌詞に組み込まれているとしても「もがもが」は一体なんなんだ。今考えると、やはり性的サブリミナルだったのだろうか。未だに当時の友人と「あの歌詞おかしいよね」と語り合っている。大人になると、汚い部分というか見たくない部分が見えてきて困る。考えすぎ?

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