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吟遊映人 【創作室 Y】

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2008.05.05
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カテゴリ:映画/ヒューマン
「考えてた・・・逃げるのなら・・・俺も連れて行ってくれ。」
「何だと? ・・・ボートの操縦は?」
「いや(できない)。」
「眼鏡なしで見えるか?」
「(いや、だけど)役に立てる。」
「逃げる気なんかなかったはずだろ。」
「今まではな。・・・だが仕方がない。ここに残ってたら・・・死んじまう。」
「・・・好きにしろ。」

自由に飛び回る蝶のように、自らを解放したい。
飽くなき自由への願望の象徴、それが「パピヨン」。
人生とは皮肉だ。叶わぬ夢はないと教えられ、ひたすら前向きに目標を掲げて生きていく人間が存在する一方で、どうあがいても努力しても報われない不条理を実感してしまうのも事実だ。
志賀直哉の作品に「城の崎にて」という小説があるが、そこには「生きていることと死んでいることに、そう大して変わりはない」という究極のテーマが潜んでいる。
この「パピヨン」にも同様のものがそこはかとなく感じられる。
「自由であることと自由でないことに、それほどの大差はないのだ」と。
主役のスティーヴ・マックィーンは、当時ハリウッドのドル箱スター。
ジェームズ・ディーン、マーロン・ブランド、ポール・ニューマンらと並ぶアンチ・ヒーロー型スターとして、円熟した演技を披露してくれる。
ボクトツとした真面目な演技で挑むダスティン・ホフマンとは、息の合った芝居を展開する。

小説「パピヨン」は、著者であるアンリ・シャリエールの自伝的小説である。
南米のフランス領ギアナにある刑務所に収容されていた時の回想録だ。
主人公シャリエールの胸にパピヨン(蝶)のタトゥーが彫られていることから、皆に“パピヨン”と呼ばれる。
パピヨンはパリで金庫破りをし、人殺しまでしたという濡れ衣を着せられ、終身刑の判決を受ける。
その後、フランス領ギアナの流刑地に移送される。
数年後、パピヨンは二人の囚人と共に脱走を計る。
が、あえなく失敗。再び入獄。
サン・ヨセフ島にある独房の劣悪な環境の中、2年間を過ごす。
その後、ロワイヤル島へ移送。
パピヨンは再度脱獄を計る。
だが再び失敗。
栄養失調で思うように歩けないまで体力が低下し、幻覚を見るようになる。
サン・ヨセフにある精神病院に移され、どうにか快復。
その後ついにパピヨンは悪魔島に移送。
再度の脱走を企てる。

パピヨンはとり憑かれたように自由を求めて、脱獄→逮捕→独房、をくり返す。
しかし、“自由”とは一体何からの“自由”を指して言うのだろう。
僻地に住み、俗世間から隔絶された島での生活を“不自由”と呼び、本土の猥雑で俗にまみれた浮世を“自由”と呼ぶのか。
印象的なのは、パピヨンが見た幻覚のシーンで、砂漠をふらふらと彷徨いながら「俺は殺してなんかいない、無実だ」と神に訴えるところ。
神は言う、「お前が冤罪なのは分かっている。だがお前は人間において最も重大な罪を犯している。それは、人生を無駄にしたことだ」と。
パピヨンは誰に言うともなく、おぼつかない足取りで“guilty・・・”(有罪・・・)と繰り返しながら彷徨う。
この場面はズシリと来る。
どうしようもない一抹の不安を呼び覚ますような、強烈なシーンであることは否めない。

“自由”の真意を追求する、文学性の高い作品だ。

1973年(米)、1974年(日)公開
【監督】フランクリン・J・シャフナー
【出演】スティーヴ・マックィーン、ダスティン・ホフマン

また見つかった、何が、映画が、誰かと分かち合う感動が。
See you next time !(^^)





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最終更新日  2008.05.05 06:07:46
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