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テーマ:コラム紹介(119)
カテゴリ:コラム紹介
【長崎新聞 水や空】
~5月~ 大型連休の前半は、どこも人と車であふれていたようだ。喧騒(けんそう)から逃れたい年齢でもあるのだが、田舎の里山を歩いた。 正岡子規の句がある。〈故郷やどちらを見ても山笑ふ〉。山々の草木が芽吹き、明るくなった山のたたずまいを「山笑う」というが、子規が詠んだのは今ごろの山の装いであろう。ちなみに、夏は「山滴(したた)る」、秋は「山粧(よそお)う」、冬は「山眠る」という。 木々の新芽が湧き出るような中をのんびり歩く。ふと思い付いて子どものころ、お別れ遠足や歓迎遠足で行った海辺を目指した。遠い昔に通った小学校がこの春廃校となり、統合されたと知ったからでもあった。 古い山道をたどり、山を越えれば1時間あまりで行けるはずだ。ところが、記憶にあるかつての道は、すっかりわからなくなっていた。高い雑木や草、つるに覆われ、イノシシが走り回った跡だけがあった。こずえの間から海が見えてきたが、引き返した。 きょうから5月。季節は新緑から万緑に変わる。その5月をうたった詩人に寺山修司がいる。有名な「五月の詩」の一節だ。〈二十才僕は五月に誕生した/僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる/いまこそ時僕は季節の入口で/はにかみながら鳥たちへ/手をあげてみる/二十才僕は五月に誕生した〉。 長き病を得て詩人が47歳で逝ったのは、1983(昭和58)年5月4日。ことし没後30年である。(憲) (4月29日付) ~~~~~~~~ 泰然自若のコラム氏ではあるけれど記者魂が疼いたか。 里山散歩も記事にしてしまう、その姿は見事なり。 転んでもただでは起きないのが一流の記者なのだ! それにしても、 一定以上の年齢の方で、いわゆるお約束の読書をしてきた方は、この時期になると、皆、寺山修司を思い出すのだ。 とうに寺山の逝った年を上回ったが、我々にとって寺山は永遠の先輩であり兄貴なのだ。 そして寺山修司といえばこれに尽きるのではないか。 『書を捨てよ、町へ出よう』 風薫る五月、旅に出るにはもってこいだ。 でもコラム氏なら、きっと書を持って町へでることであろう(笑) しかしコチラもそうか。 『さて、どちらへ行かう 風がふく』 山頭火 急く心を静めるには、「さて」の妙を得心するのに尽きる。 次に「どうしたものか」と考えると山頭火の胸中おもんぱかる句も、我が気ままなる旅を夢想する句に変わるのだ。 我は皐月の旅人なり(^^) 明日は寺山の命日、寺山を偲びつつ風のむくまま気のむくまま出かけようか。 『人も旅人 われも旅人 春惜しむ』 山口青邨 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.03 06:15:18
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