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テーマ:コラム紹介(119)
カテゴリ:コラム紹介
【高知新聞 小社会】
今月6日に亡くなった演劇研究・評論家の河竹登志夫さんは、江戸末期から明治にかけて活躍した狂言作者の河竹黙阿弥のひ孫に当たる。歌舞伎に少しでも興味がある日本人で、黙阿弥の名を知らない人はまずいまい。 生涯に360を超す作品を書いた。幾多の名作は今の歌舞伎座でも上演されている。ひ孫の訃報に「江戸歌舞伎の大問屋」と評された曽祖父の名が浮かんだのは、その辞世の魅力による。 黙阿弥が最後に残したことばは「きょうはいよいよゆくぜ」。赤瀬川原平さん監修の「生き方の鑑(かがみ) 辞世のことば」にある。いかにもさっぱりとした江戸っ子らしい大往生。やりたいことをやった70代後半までの人生はうらやましいほど見事、と筆を結んでいる。 実は黙阿弥は65歳ぐらいのころ、いったん引退を表明した。が、そろそろ楽隠居をと思っても、ひいき筋が許さない。請われて最晩年まで書き続け、家人に「いよいよゆくぜ」と名せりふを残したあと、眠るように息を引き取ったという。 古い文人の話を持ち出したのは、現代日本の高齢化事情に照らしてだ。希望者は65歳まで働ける。介護や病気による世話を必要としない「健康寿命」という考え方も浸透してきた。長い老年期をどう心豊かに過ごすかが問われる。 みながそうとはいえないが、黙阿弥が悠然と世を去った明治の時代。せかせかと追い立てられるような現代との落差は、やはり気になる。 (5月20日付) ~~~~~~~~ 『ふだん着なれし振り袖から、髷も島田に由比ヶ浜、うちこむ浪にしっぽりと、女に化けて美人局、油断のならねえ小娘の、島に育ってその名せえ、弁天小僧菊之助ぇ』 「知らざぁ言って聞かせやしょう!」 お馴染み「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」の名台詞である。 といっても歌舞伎は不見識で、これは落語の小さん師(先代)の十八番『湯屋番』で覚えたものなのだ(汗) つまり、落語のくだりになるほど、河竹黙阿弥という御仁は素晴らしい作品を残したということなのである。 それにしても、「きょうはいよいよゆくぜ」はなんとも粋ではないか! 達者な俳句もいいが、こういう辞世は飛び抜けた感じがして、それだけで物語になる気がする。 人生を端的に表現している。 我々はそこからめくるめく想像をかきたてるのだ。 超一流である。 本物とはこういうものだ、そう思った。 この辞世は知らなかった。近来稀に見る喜びなのだ! 新聞のコラムはこうでなくてはね♪ コラム氏に大感謝(^人^) 蛇足であるが小さん師の「湯屋番」は歌舞伎の台詞をもじってこう続く。 『お湯ゥ屋の奉公人に住みこんで、ふだん着なれしメリヤスの、シャツ股引きも穴だらけぇ、打ちこむ薪のそのそばで、油断のならねぇ釜番の黒く染まったその名せえ、煙突小僧スス之助ぇ』 放蕩の末に勘当となった若旦那の大見得や見事!そして抱腹絶倒!! 是非一度お聞きあれ(^o^)/ もちろん五代目柳家小さん師でね♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.05.23 14:55:28
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