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2013.07.31
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テーマ:コラム紹介(119)
カテゴリ:コラム紹介
20130731

【愛媛新聞 地軸】
~引き際のありよう~

「始める」よりも難しいのが「終わる」こと。「終わり」を意識すべきではないか―。「引き際の美学」(朝日新書)の著者川北義則さんは、今の世の中をこう捉え、執筆のテーマにしたという。
 
冒頭、見事な引き際をみせた人物としてアメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーを紹介している。貧しい移民の子から苦労の末、大実業家に。65歳で引退、15兆円もの資産すべてを慈善事業などで社会に還元した。かくありたいと。
 
それにしても、このところ胸のすく「引き際」にとんと、お目にかかれない。不祥事続きの全日本柔道連盟(全柔連)の上村春樹会長が、国からついに辞任の最後通告を突きつけられた。期限は8月末。が、会長は10月まで続投の意向だ。
 
従わなければ改善命令、それもだめなら公益法人の認定取り消しへと手続きが進む。全柔連にとって深刻な事態が想定される。それでも保身にこだわる姿勢はいかにも分かりづらい。
 
政界も同様。参院選で惨敗、解党的出直しが必要な民主党。海江田万里代表は続投する。自らの責任は棚上げして。一方で「反党行為」をした菅直人元代表の切り捨てを提案した。元代表も自らけじめをつける気はなし。結局、混乱回避の緩い処分でケリに。
 
人のため、社会のために、わが身を引く。こんな潔さを、各界のトップリーダーに求めるのは欲張りすぎか。だというなら、ほんに悲しくも寂しい時代であることよ。
(7月27日付)

~~~~~~~~
読後一番、上村さんや海江田さんや菅さんが少しかわいそうに感じた。かのカーネギー氏を引き合いに出されてはたまったもんじゃないなぁ。
とはいえ、それも因果応報か・・・

そしてまた、地軸にはコラムの気概を感じるのだが、果たして「社会のために、わが身を引く」或いは「こんな潔さ」は立派過ぎて、正直なところいささか鼻白む。
現実的でない、そう思わざるを得ないのだ。
それをしてコラム氏も「欲張りすぎか」と言っているのであろうが。

「ほんに悲しくも寂しい時代であることよ。」
誠に同感で、この責任を放棄した世を憂うのみである。

そういえば、夏の高齢、もとい恒例となった経済団体主催の軽井沢セミナーの様子をテレビで見た。
名だたる上場企業のトップが集まったわけなのだが、テロップがなければ老人ホームの慰労会ではないか。
ご一同でそのまま巣鴨に移動されても、実に違和感無く画になる光景であった。

経営者の高齢を批判しているわけではない。決して年齢は醜くは無い、だがどうして「身を引く」ことをしないのか、どうして「潔さ」がないのか。その態度が醜く感じた。上のお三方もしかりである。
私はほとほと疑問に思った。

そんな折に産経抄で「不可欠意識」見て合点がいった。

~~~~~~~~
【産経新聞 産経抄】

長年の研究開発の苦労が実り、新製品が大ヒット、わが世の春を謳歌(おうか)する企業があった。ところが、その製品に重大な欠陥が見つかってしまう。消費者にそっぽを向かれ、業績は悪化するばかりだ。
 
その企業には、もうひとつの悩みがある。3人のかつての経営者の存在だ。直属の部下を連れて飛び出したAさんは、別の会社を立ち上げた。といってもかつての「剛腕」のイメージは失われ、経営は苦しそうだ。社長時代から常識はずれの言動が多かったBさんは、今もマスコミの格好の標的となって、会社の信用低下に一役買っている。今も会社に籍を置くCさんは、現経営陣の方針に逆らって、やりたい放題だ。
 
民主党をモデルに、こんな筋書きの経済小説が書けるかもしれない。A、B、Cが、小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人の3氏であることはいうまでもない。とりわけ参院選で喫した大敗について、菅元首相の責任は重いといえるのではないか。
 
東京選挙区で党から公認をはずされた現職候補は、元首相と同じく「脱原発」を主張してきた。だからといって公然と支援するのは、まさしく「反党行為」だ。公認候補と共倒れという、悪夢のような結果を招いてしまった。
 
「不可欠意識」という言葉を、加藤秀俊さんの『隠居学』(講談社)から教わった。自分が組織にとって「不可欠」である、と思う気持ちは誰にもある。ただ社長や会長というエラい人たちに、その意識が強すぎると始末に負えない、と加藤さんはいう。
 
まして、首相や大政党の党首を務めた人たちの妄想は、「おれがいなきゃ、日本はダメになる」などとどこまでも大きくなる。そろそろ「可欠のひと」として、「隠居学」の勉強を始めてはいかがか。
(7月23日付)

~~~~~~~~

なるどほ皆さんは

『自分が組織にとって「不可欠」である。』

問答無用にそう信じているのであろう。その意識たるや鉄の如し、だから「始末に負えない」というわけだ。

私は歴史を学んで確信したことがある。
それは史実のキーマンも、彼らがいなかったら、遅かれ早かれ代わりの誰かが必ず現れたはず、ということだ。
遠くは清盛も信長も、近くは西郷も龍馬も、彼らがいなくても今の世は変わっていない。何故なら代わりの誰かが絶対に、確実に、必ず出てくるのだ!
時代は、森羅万象が複雑に絡み合いながら決まった方向に動いている。説明は付かない、だがそれは真理だ。それを感じると「その人しかいない」そして「それしかない」ということは何一つ無いと思う。

藤原正彦さんが「日本人の美風」という言葉をよく使われる。
地軸の「社会のため」や「わが身を引く」や「潔さ」は、まさに日本人の美風としてきたところであろう。
試しに口に出して「いさぎよさ」とゆっくり言ってもらいたい。さすれば我が民族が世界に誇るべき美風をしみじみと実感されることであろう。
そして「不可欠意識」がいかに未練がましくも醜態だということもお感じいただけることであろう。

話題の皆さんには我らが先祖の築いた美風を感じ、日本人ならその御魂に報いるためにも、我が身の処し方を再考していただきたい、そう願う次第である。

20130124aisatsu





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最終更新日  2013.07.31 06:05:31
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