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テーマ:コラム紹介(119)
カテゴリ:コラム紹介
【朝日新聞 天声人語】
~木田元氏逝く~ その文章は軟らかく、時にユーモアを含む。小中学校の同級生と久しぶりに会い、いまは大学の哲学教師だと近況を報告した。相手は驚き、そういえばお前は子どものころから忍術が好きだったと応じた。これにはまいった、と回想している。 「哲学なんて半分詐欺のようなことをやっていて」と語ったこともある。ものごとを疑い、相対化して見る。そんな思索の積み重ねが大きな業績に結実していた。哲学者で中央大名誉教授の木田元(きだげん)さんが亡くなった。85歳だった。 戦後、テキ屋の手伝いをしたり、米の闇屋をしたり。東北大に入学するまでは、綱渡りのような暮らしだった。それが人間的にも学問的にも幅の広さをもたらしたのだろう。20世紀を代表する哲学者ハイデガーの研究では、日本における第一人者だ。 未来を見通す目を持っていたというべきか。科学技術の肥大化に以前から警鐘を鳴らした。技術を制御できると考えるのは人間の「倨傲(きょごう)」でしかない。技術は人間の思惑を超えて自己運動していく。畏敬(いけい)しながら警戒せよ、と。 ハイデガーの文明観を踏まえて練り上げた木田さんの思想を3・11が裏付けた形だ。旧作「技術の正体」が昨年再刊された。それに添えた新たな文章で福島原発事故を嘆いた。人間の方が技術の部品と化し、ただ酷使されているという告発である。 若いころの遍歴からか「ケンカのプロ」を自任していた。晩年はだんだん仙人に近づいていると書いていたが、鋭い論考をもっと読みたかった。 (8月19日付) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 日本を誇る大哲学者の木田元氏が亡くなられた。 ハイデガーの研究者である木田氏はドイツでハイデガーとの面接の機会を自ら断ったという。 『もし会えば、頭を下げてサインをもらって帰るのが落ちだ。一宿一飯の恩義を受ければ批判もできない。』 武士のような人であった。でも包容力のあるあたたかな人であった。もちろん木田氏にはお会いしたことがないので、あくまでも私の感想だ。そして無礼を承知で書かせていただければ、木田氏には何か漠然とした連帯感を覚えないではいられなかった。 後に小林秀雄と岡潔の対談を読んで、漠然とした連帯感が何かを理解した。木田氏も、小林秀雄曰く「こちら側」、の人間なのだ。そう思うと、一見無機質にも見える哲学書も、木田氏のあふれんばかりの情緒をベースに書かれたもの、そう思えるようになった。 なお木田氏が小林秀雄を信奉する所以にこうある。ハイデガーの「存在と時間」との出会いで、 『読んでもよく分からないが、何かすごく大切な事が書いてあることだけは感じられた。なんとしても読んで、分かりたい。』『簡単に分かるものはつまらない。分からないから面白い。』 小林秀雄が、ゴッホやピカソと格闘した動因と同じであろう。木田氏は大学で猛勉強に暮れ「ハイデガー(岩波書店)」を書き上げた。実に出会いから33年の時を経ていた。 さて、以下に産経新聞のコラム「産経抄」を添える。産経抄らしい筆致で綴られたコラムは木田氏を見送るのにふさわしい。いまだ「まわり道」途上の私は、コラムを読みつつ木田氏を偲ぶのある。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【産経新聞 産経抄】 ~ヤミ屋から哲学者へ~ 自分は何がやりたいのか、分からない。現代の多くの若者と同じように、20歳前後のころの木田元(げん)さんも悩んでいた。ただし、状況はかなり違っている。 旧満州で育った木田さんは、昭和20年の敗戦を、広島・江田島の海軍兵学校で迎えた。東京に出てぶらぶらしているうちに、テキ屋の手先となる。仕事は、焼け残った軍の倉庫から荷物をかっぱらってくることだ。 1年後には母親や姉、弟が引き揚げてきた。18歳の木田さんは、今度はヤミ屋となって、家族の生活を支えた。少し余裕ができると、地元山形の農林専門学校に入学する。といっても農業に興味はなく、ひたすら本を読む毎日だった。その中で出合ったのが、ドイツの哲学者、ハイデッガーの『存在と時間』だ。 なんとなく、冒頭の悩みに答えを出してくれそうな気がして、東北大学の哲学科に進む。木田さんの言葉を借りれば、「ちょっと1回読んでサヨナラというわけにはいかなくなっちゃった」。ハイデッガーの思想を理解するため、ヘーゲルやフッサール、キルケゴールと研究の範囲は、どんどん広がっていった。 木田さんが、ハイデッガーについての著作を出すまでに、30年を超える月日が過ぎていた。中央大学名誉教授の木田さんの訃報が昨日届いた。「まわり道ばかりだった」と、著作で人生をふり返った木田さんには、なによりまわり道の大切さを教わった。 「哲学の勉強なんかしてなんの役に立つのですか?」。一般教養の「哲学」の講義をしていたころ、学生によく聞かれたという。世のため人のためという意味なら、役に立たない。ただし、自分のやりたいことが見つかったという意味では、人生の役に立った。木田さんは、こう答えるのが常だった。 (8月18日付) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ところで木田氏はこう言われている。 『将来がどうであれ、何も見えない真っ暗闇よりは少し先が見えると良い。でもそこは若い人の領分で、私に口出しはできません。』 巷は扇情と歪曲にあふれている。すべて余計な「口出し」からはじまる。特に、己の役割を終えた方々は、既に「若い人の領分」と心得、木田氏を見習い「口出し」は慎んでもらいたいものだ。 たとえ紆余曲折はあろうが、日本は「まわり道」の末に正しいところにたどり着くのだ。 何はともあれ衷心より木田元氏のご冥福をお祈り申し上げる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.08.20 06:01:09
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