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被害者の人たちが帰ってきたときは、よかったなぁ、と思ったのだが、
少し傲慢過ぎないか、とも思っていた。 国民全体の利益とか、外交問題とかを気にしないで、 声高に自分達の都合のみを強引に突きつけているんじゃないか、って。 もちろん、彼らは被害者でその態度が正しいのは確実なのだが。 俺は「自分が正しいことを疑わない」人間が大嫌いだ。 「自分が正しいと信じる」のはいい。そうではなく「疑わない」のはよろしくないと思う。 家族会の態度はその部類に見えた。 しかし、この考えは見当違いだったような気がしてきた。 彼らは実際、なりふり構っていられないのだろう。 正しいと疑うとか、信じるとか、それとは論点が違うような気がしてきた。 正しいかどうかでなく、彼らは当事者なのだ。彼らが主張することが世論の一部となるのは、決して正しくないことではないのかもしれない。 多分彼らは間違ってない。 間違ってしまうかもしれないのは僕達だ。 当事者という立場は、こちら側の、たとえばニュースキャスターなんていう立場の人間が、測ったって測りきれるものじゃない。 こちら側はこちら側なりの、それに対する受け止め方があって、当事者は自分の考えで行動する。 ただ、事態の受けとめ方に違いがあることを忘れてしまってはいけないだけ。 意味も無く北朝鮮が悪いというのも、家族会が傲慢だというのもよくない。 自分自身の思考と批評が入らないと。 これって冷淡な考え方かな? でも自分の判断無く感情が伝染してしまうのは、良くないことだと思う。判断してから伝染すか伝染させるのか決めるのが良い。 それはおいといても、果たしてあんな国家があってよいのか、ほとほとあきれてしまう。 不謹慎な言い方かもしれないが、壺を割った子供が、ねんど細工で作ったニセモノを飾っておいたみたいなもの。 北朝鮮はこの状態で虚言を述べることが、自分達に絶対的に不利になるのを理解していないのか? むしろ日本政府の方を疑ってしまうぐらいだ。国民の反北朝鮮意識を煽っていると… みたいに思う人が増えるのだろうなぁ、と考えることぐらいしかできない一国民ですけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 8, 2004 08:32:13 PM
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