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2020.05.01
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カテゴリ:フォーミュラ1
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決勝レースのスタート直後、ペドロ・ラミーがJ.J.レートの車に衝突し、破片が観客席に飛び込む深刻な事故に発展した。破片はコース脇にいた複数の観客を負傷させた。オフィシャルの判断により、マックス・アンジェレッリが運転するセーフティカー(オペル・ベクトラ)がコースに導入された。その間に散乱した破片の撤去が行われることとなり、セーフティカーは5周にわたって全競技車両を先導した。先頭にいたセナは加速してセーフティカーに並びかけ、先導速度を上げるようアンジェレリにジェスチャーで要求した。6周目に入る前、デビッド・ブラウン(セナの担当エンジニア)は無線でセナにセーフティカーが退場することを伝え、セナはこのメッセージを了解した。


6周目、レースは再開された。セナはただちにペースを上げ、レース全体でも3番目に速いラップタイムで周回した。ミハエル・シューマッハがセナの車を追っていた。高速のタンブレロ・コーナーの通過時、シューマッハは前を走るセナの車が激しく底打ちして火花が上がったことに気がついた。
7周目、タンブレロ・コーナーにさしかかったセナの車は通常の走行ラインから外れ、直線的にコースアウトした後、緩衝材のないコンクリートバリアに衝突した。残骸から回収されたテレメトリーのデータによると、セナは309 km/h (192 mph)の速度でコーナーに進入した後、強くブレーキをかけてタイヤをロックさせ、211 km/h (131 mph)の速度でバリアに激突していた。セナの車は浅い角度でバリアに衝突し、右フロントホイールとノーズコーンをはじき飛ばした後、スピンしながら停止した。
車が停止した後、コックピットのセナの身体は動かなかった。数十秒後、空撮映像がセナをズームで映した。セナのヘルメットは微動だにせず、少し右側に傾いていた。その後に観察された頭部のわずかな動きは、セナの命に関して誤った希望を抱かせた。 事故直後、写真家でセナの友人でもあったアンジェロ・オルシは、ヘルメットを脱がされた状態で車内に横たわり、救護されているセナの写真を撮影した。オルシはマーシャルにより視界を遮られるまで撮影を続けた。オルシの写真には多数のオファーが寄せられたが、セナの親族はこれらの写真の非公開をオルシに要求しており、写真を目にしたのはオルシ自身とセナの親族のみに限られている。 
消火作業を担当するマーシャルは事故現場に到着した後も、正規の医療スタッフが到着するまでセナの身体に触れることはできなかった。事故発生から数分後、セナの身体は車から引っぱり出された。救命スタッフがセナを救護している様子は、上空のヘリコプターから全世界にテレビ放送されていた。映像を詳しく見ると、医療スタッフがセナを手当てしている現場の地面に大量の血液が付着しているのが認められた。セナの頭部には目に見える損傷があり、救護にあたった医療専門家にはセナが重篤な頭部外傷を負っていることは明らかだった。医療スタッフが人工的にセナの呼吸を維持するため、現場で緊急気管切開が行われ、空気の通り道が確保された。レースはセナのクラッシュ発生から1分9秒後に中断された。ウィリアムズのチーム監督イアン・ハリソンはコントロールタワーにのぼり、レース審査委員の多くがセナの事故の深刻さを感じ取っているのを目にした。その後、状況を落ち着かせるためバーニー・エクレストンがコントロールタワーに到着した。
現場で気管切開手術をセナに施したのは、彼の友人でもあり、世界的に著名な脳神経外科医であるシド・ワトキンス教授だった。
ワトキンスは後に、以下のように報告した。
彼は穏やかな表情をしていた。まぶたを引き上げて瞳孔を確認すると、脳に大きな損傷があるのがわかった。私たちはコックピットから彼を引き上げ、地面に寝かせた。そうしているときに、彼はため息をついた。私は信心深い人間ではないが、その瞬間に彼の魂が旅立ったのだと感じた。
この時点では、死亡原因は判明していなかったが、ワトキンスはセナが死亡していると判断していた。後の調査では、衝突の瞬間に跳ね上げられた右フロントホイールがコックピット内部に侵入し、セナのヘルメットの右前部に激突したと考えられている。ホイールによる衝撃は激しく、セナの頭部は反対側に跳ね返されてヘッドレストに押しつけられ、致命的な頭蓋骨骨折を負った。その際、ホイールにつながるサスペンションはベル・M3ヘルメットを部分的に貫通し、セナの頭部を損傷した。さらに、サスペンションのアップライト部の鋭利な破片がヘルメットのバイザーを貫通し、セナの右目の少し上に到達したと見られている。セナが使用していたM3ヘルメットはミディアムサイズ(58 cm)で、新しいタイプの薄型バイザーを採用していた。セナが負った3種類の外傷は、どれかひとつだけであってもセナを死亡させた可能性が高いとされている。
それでも、ワトキンスは呼吸経路を確保し、止血を施した。同時に失われた血を補給し、頸部を固定した。その後、無線で医療用ヘリコプターを呼び、集中治療麻酔医のジョヴァンニ・ゴルディーニに、マジョーレ病院に到着するまでセナに付き添うよう頼んだ。セナのクラッシュから約10分が経過したとき、ピットでの誤った情報伝達により、エリック・コマスが運転するラルースの車がピットを離れ、赤旗中断中のグランプリに復帰する形になった。ユーロスポーツの解説者を務めていたジョン・ワトソンはこの事態を目にして、「人生でこれほど馬鹿げたものは見たことがない」と述べた。事故現場のマーシャルはコマスに対して必死に赤旗を振り、コース上に着陸していた医療用ヘリコプターにラルースの車が衝突する危険は避けられた。










セナの事故車は最終的にトラックに載せられ、ピットレーンに戻された後、オフィシャルによって押収された。その際、ある未確認の人物が、車に搭載されたブラックボックス・データは取り外されるべきだと要求した。午後3時00分、セナを乗せたヘリコプターはマジョーレ病院の前に着陸した。医師たちはセナを早急に集中治療室へ運び込んだ。脳のスキャン結果はサーキットでの診断を裏づけるものだった。午後3時10分、セナの心臓は停止したが、医師たちは心肺蘇生に成功した。そして、セナの身体は生命維持装置につながれた。セナの弟レオナルドは、カトリックの司祭が臨終の秘跡を執り行うための手配をした。臨終の秘跡は午後6時15分に行われた。午後6時37分、セナの心臓は再び停止したが、今回は蘇生処置を試みない決定がなされた。マジョーレ病院の救急医長であるマリア・テレーザ・フィアンドリ博士は、非番のこの日は家で息子たちとサンマリノグランプリの生中継を観ていたが、事故の発生を受けて病院に急行し、クラッシュの約28分後(セナを乗せたヘリコプターが到着したのと同時刻)に到着していた。20年後に行われたインタビューでフィアンドリは、セナの失血は浅側頭動脈の損傷によるものであり、頭部の損傷を除けばセナの身体は無傷で、その表情は穏やかだったことを語った。事故当日のフィアンドリは、マジョーレ病院に集まったメディアと一般の人々に対して、セナに関する情報を発表する役割をになっていた。午後6時40分、フィアンドリはセナが死亡したことを発表した。


後に判明した事実として、医療スタッフがセナを調べた際、畳まれたオーストリアの国旗がコックピットから発見されていた。この国旗はセナがレース後に、ラッツェンバーガーに敬意を表して掲げようと用意していたものだった。
レース終了後しばらくして、イアン・ハリソンはセナが死亡したこと、そしてそれが「道路交通事故」として扱われていることをイタリア人の弁護士から告げられた。5月2日の早朝、ハリソンは別の弁護士に呼び出され、彼に連れられて遺体安置所へと向かった。ハリソンはセナの遺体を見るよう頼まれたが、それを拒んだ。





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Last updated  2020.05.02 20:50:43
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