言語学を超えて(ソシュール記号学の新解釈)

2024/02/12(月)22:24

言語学の最大の問題。。。

新ソシュール記号学(1753)

言語学の最大の問題は「音素は言語の最小単位である」という前提だと思う。 これにより、言語の形の側面であるシニフィアンの確立過程が無視され、既に体系として確立された様々な音声言語の文法が研究の対象となってしまい、言語という価値体系が確立される迄の動的なプロセスへの関心が断たれる。 この「音素は言語の最小単位」問題は、歴史的に音声言語が言語学の絶対的な対象であった事に由来しているが、視覚に特化した手話の存在が知られるようになっても、音声言語の優位性は変わる事はなかった。 これが、一般言語学を提唱したソシュールによって修正されなかったのは非常に残念である。 ソシュールの一般言語学の革新性は、従来のように文法を言語学とするのではなく、言語を成立させているものは差異であると指摘し、言語が成立す条件に着目した点であるが、彼はそれを記号の意味の側面であるシニフィエには適用したが、記号の形の側面であるシニフィアンには適用しなかったのが残念。 ソシュールの登場以後、言語学はチョムスキーの生成文法によって席巻されてしまう。 これは、既に確立されている言語の文法(単語の語順)を言語学とする手法であり、音韻体系に関しては、既に確立された音素を、国際音声記号を使って置き換えて記述するだけに止め、音素の成り立ちへの関心は0。 「言語には差異しか無い」というソシュールの命題が、記号のシニフィアン、つまり言語の形の側面にも適用されると考えているのは、現在、世界で私だけだと思う。 「音素は言語の最小単位である」という言語学の大前提を崩すのは簡単ではないと思うが、これをしないと言語学の未来は無い。

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