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プラプラ☆摂食障害と過ごして22年。。。

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ヴィーニャ・ヴェルデ

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2011年08月21日
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カテゴリ:私のこと
昔っから、物を溜め込む冬眠前のリスみたいで、
この頃はお小遣いがたまっていくのがうれしかった記憶がある。

それがエスカレートして、使うのを拒否する気持ちが起きた.
これが後にとんでもない行動を招く.

体重が30キロを切り、それでも通学し、活発になる私をさすがの両親も
知り合いの精神科に相談、
当時は精神か、という名称でしかなかったのだが、そこに連れて行かれるようになった.

私の担当は若い女性の先生だった.S先生.

精神科は病院の地下に診療所があって、一応吹き抜けの中庭みたいなのがあったけど、
思い出すのは照明の暗さ.
自動販売機の明かりが妙に目立っていたような記憶がある.

精神科に通う事はあまり抵抗はなかった.
多分、両親の気持ちを、愛情を感じていたからだと思う.
(なんかその頃を思い出してきたら、涙が出てきた~雫

初診の日は画を描くように言われた記憶がある.
この頃は自分でも拒食症かなと思っていたから、精神関係の本は読みあさっていた.
(両親もそういった書物を買っていたからね、それを借りて読んでいたんだと思う.)

ロールシャッハテストでもするのかなとか、どういった物で私の精神状態を測ろうとするのかな、
なんて、今考えれば、小憎たらしい考えを持って診察室に入っていたんだねぇ.

確か、木の画を描いたような気がする.

その後の診察では
「話したい事があったら話してください.」と言われ
「話したくなければ、話さなくてもいいですよ」と言われた.
先生からほかに多分問いかけられたんだと思うけど、
その辺のやり取りは今は覚えていません.

本当なら自宅療養と診察にしたかったんだと思うけど、学校には行きたいと言い張る私の気持ちを、
母は汲み取ってくれて、毎週木曜日に学校まで迎えにきてくれて早退して、
病院に通っていた.

今考えると、すごく母に負担をかけていたなって.
時間も労力もお金も、かけさせてしまったと.
それでもそばにいて、寄り添ってくれて、
きっと私が見えないところで泣いていたんだと思います.

そのうち、その診察の日に早めに早退し、ランチを取るようになり、
食べる事に拒否しなくなった記憶があります.
元々食いしん坊でしたからね.

自宅でも母はカロリーの少ない鶏のささみやイカを使ったメニューを作ってくれました.
意に添わないと、自分で変な物作って食べていたなー.
オートミールとか、わかめキノコは必需品でした.
後牛乳は飲んでいましたね、ただしローファット系でしたけど.

ダイエットを始め、拒食症になり、学年があがりました.
中3になる頃には、体力が落ち、知力も落ち、気力で生きて通学している状態.
当然成績もどんと下がっていました。

そんな私を気遣った父は、乗馬クラブに体験で連れて行ってくれました.
元々父も馬に乗りたかったのあったようで、仕事仲間からも進められたそうです.
ガリッがりの私を大きな馬に乗る、、、
小さな子が乗るよりきっと奇妙な光景だったと思います.

よく調教された馬に乗り、怖がらずに乗る私にインストラクターの方も(今思えば営業?)
「上手だね!うまくなるよ」みたいな事言われて.

きっといい笑顔だったんだと思います.
お試しコースが終わる頃には父と会員になっていました.
この頃はまだ騎乗料などは安かった事、夏休みなどは平日に乗るようにして、ずいぶん通っていました.
ご飯はこの頃どのくらい食べていたのかは定かでありませんが...

ある日、炊飯器からご飯をつまんだらものすごく美味しくて.
そのままずっとしゃもじからご飯を取り、食べ続けてしまいました.
はっと我に帰ると、おなかの張りと罪悪感が襲ってきて、
半狂乱.

休みの日だったのかな、父が居て.
半狂乱になった私に「それなら吐き出せばいいだろう!!!」と怒鳴りつけ、
そこから過食嘔吐が始まりました.





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最終更新日  2011年08月21日 11時45分32秒
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