映画「紳士協定」
DVDで映画「紳士協定」を。ユダヤ人に対する差別と偏見に問題定義を投げかけた'47年の米作品。ユダヤ人とはなにかとか、なぜ差別と偏見の歴史は途絶えないのかについて、昔はよくわからなかったけど、今やその気になれば簡単に知ることができる。宗教によって生まれた確執もとい「正しさ」の仕業。 で、この作品は「アメリカの自由と平等」がそこに機能していない事実を問題定義している。積極的であれ消極的であれ「差別に加担」すればアメリカの「自由と平等」という基本理念が損なわれ、それを見過ごせばいつしか大きな決壊に繋がりかねないのではないか‥という主人公であるジャーナリストの危機感からの視点で映画はまわる。 というか、製作背景を調べていないからわからないけれど、「ユダヤ人」と呼ばれる人達はハリウッド内部にも大勢いただろうから、社会の現状に対する彼らからの作品のスタイルを取った主張だったのかもしれない。であったとしても一見する価値はある作品。 主人公はユダヤ人になりすますことで、その差別と偏見とを身を持って体感していく。「知ること」と「わかること」は別なんだって、この作品を観ても思った。いくら情報をたくさん「知ること」ができても、それが「わかること」に繋がるとは限らない。もし「知ること」と「わかる」と思うなら、それは勘違いであり、傲慢だ。 まだこれから観るのだけれど、一緒に借りたのがクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」。ネットレンタルなので組み合わせはお任せ。なのに、これまたテーマが「内なる偏見との葛藤」。これは必然的偶然か、それともレンタル会社の意図的故意なのか。まぁ、どっちでもかまわないけれど、おもろいなぁとは思う。