Please leave me alone.
だれもがそうなのかはわからないけれど、 詩とか文章とか、言葉でなにかを結んでいるときは、 ライヴハウスで気持ちよく音に酔いしれたときと同様、 たぶん、ちょっとしたトリップをしている。 そんなときに話しかけられても、まともな返事ができない。 身体を置いて心がどこかにいってしまっている。トリップ。 そんなとき、他人から感情的な波動を浴びせられると、 現実感へと強制着陸をさせられた気分になる。急降下。 傍から見ればただぼんやりしていただけかもしれないが、 バランスが急激にものすごく崩されるから、 吐き気はするし、グラグラとめまいまで起きたりする。 だからどうか Leave me alone, please. ただぼんやりしているように見えるからと、 時間をただ無駄にしているようだと、攻めないでほしい。 だけど、 そう主張しても黙殺されるのはこの要求が正しくないからか。 だとしても、Leave me alone, please. please. だれもがそうなのかはわからないけれど、 私の自由は孤独の中にしか見つけられない。そして、 いつだって戦わざるをえない相手は「正しさ」って気がする。 なにかを裁き、そして抹殺しようとする「正しさ」。 「正しさ」は狂気を誘発する。それに取り込まれると人は狂う。 あらゆる戦争を起こさせるのも、民族間や宗教間の弾圧や虐殺も、原爆を落とさせたのも、ホロコーストも、魔女狩りや異端審問も、 天安門事件を起こさせたのも、それを「なかったこと」にするのも、 テロリストを煽るのも、すべて「正しさ」の仕切りによることでしょ。 人が人を殺める、それは「真剣だから」か? なにかに過剰なまでに一途となったがゆえのオーバーランで? 命がけで否定し合わねばならぬほど、ゆずれない真剣な「正しさ」、 その「絶対」にどう向き合っていけばよいのか、私にはわからない。 「正しさ」は、ニンゲンを殲滅してしまいたいのかもしれない。 たぶん、正しくない存在だから。「正しさ」にとっては。 だけど。「正しさ」を私が疑うのは、それが正しくないと思うからか?「正しさ」が正しくないのなら、正しい「正しさ」はどこに??私がどこか妙な具合なのはすでに「正しさ」に取り込まれているから??? 内側にあるクラック、そこに在るわずかな隙間を脱出口に、 胸をふさぐ窒息しそうな空気の拘束から逃げ出したい。 どうすることもできない気分と連れ立って、するりと。孤独な方へ。 Leave me alone.