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カテゴリ:カンツォーネ
さがしていたミランダ・マルティーノの最後の一枚のシングル盤を、やっと手に入れました。"夢みる想い"前夜のカンツォーネ国内盤です。 SS-1403 (1964. 2. VICTOR - 日本ビクター)"おおガストン(GASTON)*/愛してると言ってね(DICITENCELLO VUJE)"
SS-1403 ミランダ・マルティーノ(MIRANDA MARTINO)1933年10月29日、フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州(イタリア最北東)のモッジョ・ウディネッセ(オーストリア国境近くの山間の町)生まれ。しかし少女時代から両親の故郷ナポリで成長した。1955年に開催された56年サンレモ音楽祭 [1] のためのRAIのニュー・ヴォイスに選ばれましたが、音楽祭の出場は出来ませんでした。
1957年ナポリ音楽祭で"影のように(SI' COMM'A N'OMBRA)"が第7位、もう1曲"COMM'A NA STELLA"が参加曲になり注目されるようになりました。1958年になると所属しているRCAイタリアーナからライヴ・アルバムとシングル盤10枚リリースするまでになりました。
ついに1959年サンレモ音楽祭に"君に贈りし人生"出場し、結果は参加にとどまりましたが注目をあびることになりました。 45N-0786 (1959. 1. RCA - RCA ITALIANA) "君に贈りし人生(LA VITA MI HA DATO SOLO TE)/コジコジ(COSI'... COSI'...)" 45N-0786 翌60年サンレモ音楽祭には"君に願う"と"風雨に破れ靴"の2曲を歌いましたが入賞できず。 45N-1015 (1960. 2. RCA - RCA ITALIANA) "君に願う(INVOCO TE)/歓びの叫び(GRIDARE DI GIOIA)"、45N-1016 (1960. 2. RCA - RCA ITALIANA) "風雨に破れ靴(VENTO, PIOGGIA, SCAPRE ROTTE)/私の夜(NOTTE MIA)" 45N-1015 45N-1016 更にその一年後、ミランダはサンレモ音楽祭に挑戦します。45N-1136 (1961. 2. RCA - RCA ITALIANA) "君が誰だが云わないで(NON MI DIRE CHI SEI)*/十二月の海(MARE DI DICEMBRE)*"と45N-1137 (1961. 2. RCA - RCA ITALIANA) "レディ-・ルナ(LADY LUNA)/誰かが私を愛している(QUALCUNO MI AMA)" の2曲を歌いました。そして"君が誰だか云わないで"で入賞を果たし、彼女は思いを遂げたかのように、その後サンレモ音楽祭に出場することはありませんでした。 45N-1136 45N-1137 それでは彼女の国内シングル盤、コンパクト盤を紹介しておきましょう。 日本でのシングル・デビューは映画音楽でした。1960年ダミアーノ・ダミアーニが監督昇進第一回作品となった「くち紅」、音楽はジョヴァンニ・フスコでした。 SS-1257 (1961. 5. VICTOR - 日本ビクター)"くち紅のテーマ(PAURA)*/素敵なひととき(MOMENTO MERAVIGLIOSO)*"裏面は自殺していくシルヴァーナが「素晴らしかったひと時の想いで」をうたった悲しい曲です。
SS-1257初 SS-1257再
1962年に映画俳優ジーノ・ラヴァゲット(GINO LAVAGETTO)と結婚し、その年の秋、日本航空の招待もあり新婚旅行を兼ねて来日しています。
2枚目は最初に紹介した"おおガストン"、3枚目も映画音楽でした。オリジナルでなくアメリカ映画「ピンクの豹」のテーマ、ヘンリー・マンシーニの"今宵を楽しく"です。SS-1415 (1964. 4. VICTOR - 日本ビクター)"今宵を楽しく(MEGLIO STASERA)*/すてきな唇(MERAVIGLIOSE LABBRA)" 裏面も映画「女王蜂」の音楽を作ったテオ・ウスエッリ(TEO USELLI)なので映画関係かもしれませんが、不明です。
SS-1415 SCP-1102 日本で発売されたLPとシングル盤からピック・アップした4曲入りコンパクト盤です。SCP-1102 (1964. 9. VICTOR - 日本ビクター)"ナポリの女王/ミランダ・マルティノ(MIRANDA MARTINO)" オオ・ソレ・ミオ('O SOLE MIO)/今宵を楽しく(MEGLIO STASERA)/帰れソレントへ(TORNA A SURRIENTO)/愛してると言ってね(DICITENCELLO VUJE)
イタリアでは1962年からTVショー"THE SINGER CONFESSES"のレギュラー出演が決まり人気を高めていきますが、日本でのレコード発売は"若者のカンツォーネ"がブームになる64年頃までになってしまいます。
*エンニオ・モリコーネのクレジットが確認できる曲です。 [1] 1956年のサンレモ音楽祭は初めての試みとして、新人歌手だけのしかもシングル・キャスト方式を試みました。今までのダブル・キャストですると新人はベテランにレコード・セールスに負けてしまうからでしょう。 サンレモ音楽祭は新曲発表フェスティバルで歌手の優劣を決める音楽祭でないためです。(明日に続く) 本文も字数が多いため一回には収まりきれません。明日に続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.10.20 22:04:54
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