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カテゴリ:サンレモの歌手たち
前回までにサンレモ音楽祭の第1回、2回分データを書きました。このまま回を進めていくと、曲数も出場歌手数も増え、説明もままならなくなりそうです。 2回分を終えて出場歌手がニラ・ピッツィ、アキレ・トリアーニ、オスカー・カルボーニ、ジーノ・ラティルラの4名とドゥオ・ファザーノです。当時それなりに有名な人達で、日本ではあまり知られていませんが、何らかの形で国内盤が出ています。このあたりで紹介しておきます。ニラ・ピッツィの場合はもう一度書くことになると思います。
★ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI) リストの通り第1回優勝、第2回は1~3位を独占という快挙をしました。第一回(プリマ)で第1位(プリマ)の記念すべき"サンレモの女王"です。彼女は死ぬまでこの称号で呼ばれました。
ニラ・ピッツィ(Nilla Pizzi)、本名アディオニッラ・ピッツィ(Adionilla Pizzi)1919年4月16 日ボローニャのサンターガタ生-2011年3月12日ミラノ郊外の小都市セグラータ(Segrate)で没。貧しい農夫アンジェロと家でお針子をするマリアの娘として生まれる。二人の妹リリアナとドセーナは後に有名な編み物家となりました。 彼女は尋常教育後、洋装店のお針子見習いとなり幾つか仕事を変えなました。20代で有名なデザイナーのモデルをしながら、戦後ミス・イタリア・コンテストとなったイベントにも出場しました。22才の時に結婚しましたが夫は数日後、応召し帰らぬ人となりました。 1942年、彼女はEIAR(RAIラジオ前身)の新人コンテストに優勝し、そしてその年ゼメ(Zeme)楽団の専属となりました。1944年レッスンのためにチニコ・アンジョニーニに預けられ、パーロフォンのブルーナ・ラッターニとのデュエットが最初のレコードとなりました。それ以降チニコ・アンジョリーニの楽団に所属し劇場やダンス・ホールで歌っていました。 1946年ラジオで歌った音源をチェトラから出す契約しましたが、V.d.P.が異議を唱え、1949年チェトラと正式契約するまで、匿名でチェトラの別レーベル(FON)からレコードが発売されていました。にも関わらず出した"キサス・キサス・キサス"などラテン系の曲はヒットしていました。1948年以降は年間トップ10に入るヒットを出すようになりました。
ここまでが、サンレモ音楽祭に出場するまでのニラ・ピッツィです。 私が彼女の名前を知ったのは、やはりサンレモ音楽祭のオムニバス(コンピレーション)盤が出るようになってからでした。しかし彼女のレコードは早い時期(1950年代後半)から国内盤が出ていました。SPは私の対象外なので、あるいはSP盤が出ていたかもしれません。
EMG- 7(EP)もLL- 2001(シングル盤)も映画音楽として発売されたものです。シルバーナ・マンガーノは映画「アンナ」(ANNA)、ニラ・ピッツィは映画「人間魚雷」(I SETTE DELL'ORSA MAGGIORE / HELL RAIDERS OF THE DEEP)の挿入歌とされる歌です。 映画「人間魚雷」 http://www.veengle.com/s/SETTE%20DELL%20ORSA%20MAGGIORE.html ラメント・ボリンカ-ノ (LAMENTO BORINCANO) 17分15秒~20分30秒 マラシエラ (MALASIERRA) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI) 38分27秒~39分40秒 EMG- 7 EMG- 7 (1955年3月 MGM - 日本コロムビア) マラシエラ (MALASIERRA) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)
LL- 2001 LL- 2001 (1957年3月 MGM - 日本コロムビア) アンナ (EL NEGRO ZUM BON) シルヴァーナ・マンガーノ (SILVANA MANGANO)/マラシエラ (MALASIERRA) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)
このシングル盤にコロムビア・レーベルとMGMレーベルが存在します。時系列からするとコロムビアの方が初版ではないかと思っています。ご存知の方がありましたら教えてください。
CL-136 (195?年 KING – キング) 25cm SP 純愛(カタリ・カタリ CORE 'NGRATO)/星と涙(STELLE E LACRIME)
CL-136 EA- 76 (1959年 KING - キング) さすらい (IL GRIDO)オリジナル・サウンドトラック/純愛(カタリ・カタリ CORE 'NGRATO) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)
EA- 76 EA- 90
EA- 90 (1959年 KING - キング) 挑戦のテ-マ (LA SFIDA)オリジナル・サウンドトラック/星と涙(STELLE E LACRIME) ニラ・ピッツィ (NILLA PIZZI)
レコード番号の記号"EA"は50年代後半から60年代初めキング・レコードから出ていた「アンコール盤」シリーズです。名前の通り最初はSP盤からビニール盤に移行している間の再発売用だったのですが、映画のサウンド・トラック物も多く含まれていました。このサントラ盤は映画のトラックから直接落した"本物のサン・トラ"だったようで、ライツに厳しい現在では考えられないことです。従って再発売も、ましてやCD化などあり得ないレコード達です。
ニラ・ピッツィの曲は2枚ともB面です。このオリジナルはチェトラからでているSPで 映画「純愛(CORE 'NGRATO)」よりとなっています。映画自体が"カタリ・カタリ"をテーマにしているので音楽が主題の「純愛」映画だったと思います。"星と涙"は1952年のヒット・パレード第8位になりました。
その後ニラ・ピッツィの国内盤が出たのは5年後、ジリオラ・チンクェッティの"夢みる想い"が大ヒットし、サンレモ音楽祭が一般的な注目を浴びるようになってからです。
17M-1010 (1964年7月20日 SEVEN SEAS - キング) サン・レモのすべて第1集(TUTTE LE SAN REMO Vol. 1) 1.花をありがとう (GRAZIE DEI FIORI)
ニラ・ピッツィは1975年春、「民音第一回イタリア音楽祭」に出演のため、初来日します。その来日記念盤として、シングル盤が出ました。
HIT-2196 (1975年4月25日 SEVEN SEAS - キング) つた (L'EDERA)/花をありがとう(GRAZIE DEI FIORI)
このシングル盤は後年アリストン(ARISTON)に移籍してからのセルフ・カヴァーです。A面の"つた"はチェトラからRCAに移籍し1958年サンレモ音楽祭第2位になったRCA時代の代表曲です。
LAX- 118 (1975年4月25日 SEVEN SEAS - キング) 花をありがとう/ニラ・ピッツィ (GRAZIE DEI FIOR/NILLA PIZZI) 30cmLP 原盤ARISTON,Italy
1.花をありがとう (GRAZIE DEI FIORI) GP- 387 (1975年10月 SEVEN SEAS - キング) ニラ・タンゴ/ニラ・ピッツィなつかしのスタンダードを歌う (NILLA TANGO/BALLO LISCO) 30cmLP 原盤ARISTON,Italy GP- 387 SR- 873 SR- 873 (1974年7月25日※ SEVEN SEAS - キング) ニラ・タンゴ/女王ニラ・ピッツィ懐かしのタンゴを歌う (NILLA TANGO/BALLO LISCO) 30cmLP 原盤ARISTON,Italy ※現在まで存在確認が出来ません。未発売と思います。特に売れ筋でなく一旦発売延期となり、民音コンサートに来日後、新たに2曲足し日本タイトルを変更して発売されたと推測しています。 RCA時代の話と国内盤アルバム、コンピの話はまた改めていたしましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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