★ミーナ(vf) Mina
本名ミーナ・アンナ・マッツィーニ (Mina Anna Mazzini)、1940年3月25日ミラノの近郊ブスト・アルシツィオ(Busto Arsizio)生、イタリアの歌手。デビュー当時外国のカヴァー曲を歌う時にベビー・ゲイト(Baby Gate)の芸名も使った。
2006年1月10日エウジェニオ・クァイーニ(Eugenio Quaini)との結婚後ミーナ・アンナ・クァイーニとしてスイスに通常住んでいます。
多くは、ミーナの本名をアンナ・マリア・マッツィーニ(Anna Maria Mazzini)と間違われています、本名は2001年功労賞叙勲の際、政府から発表された名前で表示しています。
ミーナの父ジャコモ・マッツィーニ(Giacomo Mazzini)と母レジーナ・ゾーニ(Regina Zoni)は、それぞれはミーノ(Mino)とジーナ(Gina)と呼ばれていました。二人ともクレモナの出身ですが、一時的にミラノ近郊に住んでいた時にミーナは生まれました。3歳の時にクレモナのマッツィーニ大通りの自宅に戻って来ました。
彼女は中産階級の家庭で育ち、幼い時から有名人だったようです。友人でジャーナリストのナタリア・アスページから“クレモラの虎(Tigre di Cremona)”という仇名をつけられます。音楽への愛を呼び覚ましたのはオペラ歌手だったの祖母のアメリアでした。祖母は理論には拘らずピアノを弾くことだけを教えました。
高校を卒業後、カレッジに入りましたが、目指すところでなく4年生になって退学してしまいます。SF小説が好きですが、それ以上に情熱を持っていたのが歌うことでした。学校の友達の勧めで歌を歌っていました。
ミーナの国内盤 (ITALDISC時代)
RANK-1034 (1960年6月 TOP RANK - . 日本ビクター) 月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA)/ジョニー・キス (JOHNNY KISS)
RANK-1034 JET- 11
JET- 11 (1960年10月 TOP RANK - . 日本ビクター) 17cm CP
1.月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA)) ミーナ
6.月影のナポリ (TINTARELLA DI LUNA)) ソニー・レスター楽団 (SONNY LESTER)
RANK-1086 (1961年2月 TOP RANK - . 日本ビクター) 幸せがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA)/夜よ、わたしを恋して (LA NOTTE)
文字ジャケット ジュークボックス・ジャケット 映画「歌え!太陽」用ジャケット
RANK-1118 (1961年8月 TOP RANK - . 日本ビクター) 水玉のしま馬 (UNA ZEBRA A POIS)/マグダレーナおばさん (LA NONNA MAGDALENA)
RANK-1118 RANK-4002
RANK-4002 (1961年TOP RANK - . 日本ビクター) 歌え!太陽/ミーナ (MINA) 25cm LP
1.水玉のしま馬 (UNA ZEBRA A POIS)
2.マグダレ-ナおばさん (LA NONNA MAGDALENA)
3.冷たいあなた (MI VUOI LASCIAR)
4.月とカウボ-イ (LA LUNA E IL COW BOY)
5.幸せがいっぱい (IL CIELO IN UNA STANZA) 6.ほんとうなのよ (E' VERO) 7.淡き月の光 (UN PICCOLO RAGGIO DI LUNA)
8.わたしはこわいの (HO PAURA)
VS- 10 (1963年未発売 VERVE - .日本コロムビア) 涙の手ほどき (JUST LET ME CRY)/嘘のある恋 (PRETEND THAT I'M HER)
LL- 8002 (1963年6月 VERVE - .日本コロムビア) 涙の手ほどき (JUST LET ME CRY)/嘘のある恋 (PRETEND THAT I'M HER)
DP-1326 (1964年3月 POLYDOR - .日本グラモフォン) 泣かせておいて (JUST LET ME CRY [F])/二人の星 [仏] (NOTRE ETOILE)
LPP-1130 (1963年POLYDOR - .日本グラモフォン) ポリド-ル・ベスト・テン第2集 (POLYDOR BEST TEN Vol.2) 25cmLP
9.サンレモ乾杯 [仏] (RENATO [F])
LPP-1130 LPP-1133
LPP-1133 (1963年POLYDOR - .日本グラモフォン) ポリド-ル・ベスト・テン第3集 (POLYDOR BEST TEN Vol.3) 25cmLP
8. 泣かせておいて (JUST LET ME CRY [F])
SL-5114 (1963年12月 MGM - .日本コロムビ) ミーナ乾杯! (MINA) 30cmLP
1.月影のレナ-ト (RENATO)
2.突然に (IMPROVVISAMENTE)
3.誰 (DA CHI)
4.あなたの手 (LE TUE MANI)
5.チウァウァ (CHIHUAHUA)
6.兵士ジョ- (IL SOLDATO GIO)
7.ヴォラ・ヴォラ (VOLA VOLA DA ME)
8.太陽はひとりぼっち (ECLISSE TWIST)
9.手を強く握って (STRINGIMI FORTE I POLSI)
10.土曜の夜 (SABATO NOTTE)
11.ショパン・チャチャチャ (CHIOPIN CHA CHA)
12.あるひと (UN TALE)
SL-5114 LL- 810・LT
LL- 810・LT (1965年9月 COLUMBIA INTERNATIONAL - .日本コロムビア) 太陽の海 (STESSA SPIAGGIA, STESSO MARE)/スローリー (SLOWLY)
この後はつぎの機会に続きます
★ジェルマーナ・カロリ (vf) Germana Caroli
本名ゲルマーナ・マゼッティ(Germana Mazzetti)、1931年8月18日ボローニャ生、50年代の歌手。 国内盤の表記はゲルマーナ・キャロリ(GHERMANA CAROLI)はWeb上で検索されていませんので、表題の形を使用します。
初めは地元のジョヴァンニ・フェナーティ楽団でレッスンを受けながら歌い始め、1954年フィリップスから出した“Ehi, tu”がヒット、その後ドゥリウムと契約しました。
59年コラッド・マントオーニ(Corrado Mantoni)が司会するラジオ番組「Il traguardo degli assi」にミランダ・マルティーノなど一緒にアウレリオ・フィエロ・チームに入りチニコ・アンジェリーニ楽団と参加しています。この年第7回ナポリ音楽祭でルチアーノ・ロンディネッラ(LUCIANO RONDINELLA)のパートナーで“春(PRIMMAVERA)”を歌い入賞しています。
60年最初で唯一度のサンレモ音楽祭で“歓びの叫び”を歌いましたが入賞できませんでした。ミーナやベティー・クルティスの曲をカヴァーするドゥリウムのウルラトーレ系の中堅歌手で重宝な存在でしたが、器用貧乏で自分のヒット曲は数曲程度でした。
ジェルマーナ・カロリの国内盤 JET-1005 (1961年11月 TOP RANK 日本ビクター) 青いしゃぼん玉 (LE MILLE BOLLE BLU)/誰も知らない (NESSUNO)
1947年にラジオ・トリノでデビュー、その後RAIのいくつかの音楽番組に出演、「Cantate con noi」などのTV番組に最初に出た歌手の一人です。
60年のサンレモ音楽祭で“太陽の輝やき(Splende il sole)”を歌い初参加で9位入賞しました。その後マリオ・パトゥロヴィータ(Mario Patrovita)と結婚後引退しました。
非常に情報の少ない歌手で、Wed上でもリコルディのサンレモ入賞曲“太陽の輝やき”と54年頃にチェトラから出たSPが1、2枚確認できるのみです。声を聞く限りではミーナやベティー・クルティスに似た歌手だったようです。