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カテゴリ:サンレモの歌手たち
★ピエールフィリッピ (vm) Pierfilippi 本名アドルフォ・フィリッピ(Adolfo Filippi) 1938年4月30日 (35年説もあり) ボローニャとサン・マリノの間にある小都市ルーゴ・ディ・ロマーニャ(Lugo di Romagna)生、60年代初期の歌手。
1957年、新人コンテスト優勝し、ダンス・クラブ歌手からキャリア始めました。61年RCAイタリアーナと契約ができ、翌62年ただ一度のサンレモン額歳に出場しました。 64年第2回ローズ・フェスティヴァルに"Da quando ho visto te"、翌65年第3回では"Sarà come una volta"と"大切なこと(Le cose più importanti)"を歌いました。彼のバンド、レ・コパン(Les Copains)に64~66年の間、プー(i Pooh)の初期のメンバー、ロビー・ファッキネッティ(Roby Facchinetti)が在籍していました。RCAイタリアーナから離籍後もイタリアや外国のナイト・クラブでバンド演奏の活動を続けました。 所属レコード会社61~65年 RCA ITALIANA
ピエールフィリッピの国内盤 BVCM-37063~72 (2000年3月23日 RCA -BMGファンハウス) 10CD Boxエンニオ・モリコーネ・クロニクル (THE ENNIO MORRICONE CHRONICLES) 7-1.大切なこと (LE COSE PIU' IMPORTANTI)
BVCM-37063~72 BVCM-37154~5
BVCM-37154~5 (2000年8月23日 RCA -BMGファンハウス) 2CD Box ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・エンニオ・モリコーネ (ENNIO MORRICONE CHRONICLES) 1-10.大切なこと (LE COSE PIU' IMPORTANTI)
BVCM-37208~9 (2001年4月25日 RCA -BMGファンハウス) 2CD Box エンニオ・モリコーネ/アルティメット・イタリアン・ポップス・コレクション (ENNIO MORRICONE/40th COMMEMORATION : ULTIMATE ITALIAN POPS COLLECTION) 2-20.この雨は上がるだろうか (QUESTA PIOGGIA PASSERA')
BVCM-37208~9
★ロッサーナ (vf) Rossana 本名ロッサーナ・カッパルッチーニ(Rossana Capparuccini) 1940年11月24日ローマ生。
デビューは19歳、ミラノのクラブでオルネラ・ヴァノーニの"マントを着た人々(LE MANTELLATE)"のような"le canzoni della Mala (マラの歌)"を歌ったときでした。61年にポップスにレパートリーを変更し、世界自転車競技大会関連イベントの「ミラノ音楽の6日間」、ニース音楽祭に参加し、ジャンニ・ラヴェーラ(Gianni Ravera)の目にとまり、ただ一度のサンレモ音楽祭に出場できました。 名前だけの芸名はWebで検索すると、多くは「黄金の七人」等に出演した映画女優ロッサナ・ポデスタ(Rossana Podestà)など膨大なデータを拾ってしまいます。レコード会社Philipsを加えても、80年代から出てきた有名歌手ロサーナ・カザーレ(ROSSANA CASALE)がおり、絞り込みに苦労をしました。唯一のヒット曲"Latin lover"で絞りやっとたどり着いたジャケット画像です。 所属レコード会社Philips (Melchioni)
ロッサーナの国内盤はありません
★マリオ・ダルバ (vm) Mario D'Alba 本名マリオ・クァルニェンティ (Mario Quargnenti) 1933年3月18日ジェノバ生、2011 年1月 22日ロンドン没。 67年以降フランスでもマリオ・ジャッキー(Mario Jacques)、時としてマリオ・マリューロ(Mario Magliulo)を使い歌手活動をし、フランス人歌手ストーン(Stone)と結婚しフランスやモナコに在住していました。
ジェノヴァの富豪実業家の家庭に生まれ、歌謡曲狂が昂じ、ミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で勉強した後、歌手、作曲家を始めます。彼はRAIの見習い歌手の期間、国際のグループを選択し加入します。 1960年"Andar lontano/Oh vieni"でイタルディスクからレコード・デビューをしました。60年、61年の世界自転車競技大会関連イベントの「ミラノ音楽の6日間」では決勝戦まで残り、サンレモ音楽祭の出場権を得ました。彼は多くの場所、特に外国で歌手やバンドの活動をすることにしました。 66年後半にフランスに行きヴォーグ(Vogue)で歌手マリオ・ジャッキー(Mario Jacques)となります。67年以降フランスで音楽活動を始めますが、60年代、70年代は彼が目指したロック・ン・ロールを真剣に取組んで活動していたとは言えません。 74~75年エリック・シャルダン(Éric Charden)とギー・ボンタンペッリ(Guy Bontempelli)のミュージカル"メイフラワー(Mayflower.)"に出演していたストーン(Stone)はストーン&シャルダン(Stone et Charden)※ として夫婦デュオで活動していましたが、75年離婚をします。一方マリオもこのミュージカルに出演していました。 77年彼の最大ヒットと思われる曲が出ます。"オートルート A6(Autoroute A6)"でした。フランスの高速道路のことをラテンのリズムで歌った極めて他愛のない曲(高速道路を運転しながら聞くには最適かも)ですが大成功でした。
79年ミシェル ・ ジェラール(Michel Gérard)の映画「Les joyeuses colonies de vacances」の音楽を担当しました。80年代になりマリオはストーンと結婚し、Martinと Daisy二人の子供が生まれました。その後、 陽の光が明るいモナコに転地してからは夫婦でアウトドア・ライフを楽しみ、マリオ・ダルバ人間オーケストラ、著者業、作曲家、歌手、俳優など疲れを知らないそれを生活を送ります。
所属レコード会社は60~63年Italdisc、63年Cetra、65?~66年Ricordi、66~71?年Vogue(France)、?年Polydor(France)、75年Gérard Tournier(France)、77年Ch.Talar(France)
マリオ・ダルバの国内盤 SH- 231 (1966年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 第16回サンレモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1966)
SH- 231 HIT-1305
HIT-1305 (1966年1月 SEVEN SEAS - キング) 恋するハート (A POCO A POCO)/ささやき (INSEGNAMI AD AMARE) リコルディ在籍中にこの盤両面の曲をマリオは本名M. Quargnenti名で書いていました。そしてまた、このマリーナ(MARINA)という少女、後に「大化け」します。必ず書く機会がありますので、誰なのか楽しみにしてお待ちください。
※ストーン & エリック・シャルダン (STONE et CHARDEN,ERIC (duo=f)) ニコラ・ディ・バリ(NICOLA DI BARI)の私の好きだった国内未発売ヒット曲"IL MONDO E' GRIGIO,IL MONDO E' BLU (LE MONDE EST GRIS,LE MOMDE EST.. 世界は灰色、世界は青)"の元曲がエリック・シャルダンだったので、彼の国内盤で出ていたので買っていました。
LL- 2552・AX (1972年8月 . COLUMBIA -日本コロムビア) 恋の冒険 (L'AVVENTURA)/運転手の歌 (LA MUSIQUE DE CAMIONEUR) ストーン & エリック・シャルダン LL- 2552・AX お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015.06.25 16:56:25
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