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カテゴリ:サンレモの歌手たち
★ロビー・フェランテ (vm) Roby Ferrante 本名ロベルト・ディ・ナポリ(Roberto di Napoli)1942年12月19日ローマ生、1966年8月19日アルトパーショ没、歌手、作曲家。
18才の時ロビー・フェランテと彼のスプリンター(Roby Ferrante e i suoi Sprinter)というバンドを結成しデビューしました。ローマのシスティーナ劇場で開かれたロック・フェスティバルでスタッフとしての働きを認められ物真似コメディアンのアリギエーロ・ノシェーゼ(Alighiero Noschese)と一緒にツアーに参加します。 1961年フランコ・ミリアッチ(Franco Migliacci)の後押しもあってRCAイタリアーナと契約が出来、"包み (IL PACCHETTO)"という曲でレコード・デビュー出来ました。その後ロビフェル(Robifer)のペン・ネームでリタ・パヴォーネ(RITA PAVONE)のために"わたしの年頃(ALLA MIA ETA')"を書き、曲がヒットし彼の名前が知られるようになりました。 64年唯一度のサンレモ音楽祭に出場しました。カンタジーロのジローネBに"想い出なんか(Non ti ricordi più)"で出場、翌65年は"撲の一日(IL GIORNO MIO)" で出場しました。1966年8月18日ヴィアレッジョのラ・ブッソラで開かれたシャルル・アズナヴールとアマリア・ロドリゲスのコンサートの帰り、ピサとフィレンツェの間にある都市アルトパーショ(Altopascio)付近で交通事故にあい死亡しました。 所属レコード会社は61~66年RCA italiana, ARC
ロビー・フェランテの国内盤 SS-1434 (1964年5月 VICTOR - 日本ビクター) 太陽の中の恋 (OGNI VOLTA) ポール・アンカ (PAUL ANKA (vm=ca))/ロビー・フェランテ (ROBY FERRANTE (vm))
SS-1434 GXF- 81~90
GXF- 81~90 (1979年3月23日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP 10Box サン・レモ音楽祭大全集 (FESTIVAL DI SAN REMO)
BVCM-37063~72 (2000年2月5日 RCA -BMGファンハウス) 10CD Box エンニオ・モリコ-ネ・クロニクル (THE ENNIO MORRICONE CHRONICLES)
BVCM-37063~72 BVCM-37208~9
BVCM-37208~9 (2001年4月25日 RCA - BMGファンハウス) 2CD Boxエンニオ・モリコーネ/アルティメット・イタリアン・ポップス・コレクション (ENNIO MORRICONE/40th COMMEMORATION : ULTIMATE ITALIAN POPS COLLECTION)
VFD-8951~5 (2001年RCA - ビクター・ファミリー・クラブ) 2CD Boxエンニオ・モリコーネ/アルティメット・イタリアン・ポップス・コレクション (ITALIAN POPS COLLECTION)
VFD-8951~5
★ポール ・ アンカー (vm=ca) Paul Anka 本名ポール・アルバート・アンカ(Paul Albert Anka)1941年10月30日カナダのオタワ生。カナダ、アメリカの歌手、作曲家。1990 年に帰化し米国市民となりまた。
レバノン系ギリシャ正教徒でロカンダというレストランを持つアンディとカメリア・アンカイン(Andy and Camelia Ankain)の子として生まれました。フランクリン・カラム(Frederick Karam)が指導している聖エリアス・アンティオキア正教会聖歌隊(St. Elias Antiochian Orthodox Church)で歌い、音楽理論を学び、ウィンニフレッド・リース(Winnifred Rees)からピアノを教わりました。 14才の時、最初のシングル盤"I Confess"を出し、1957年ニュー・ヨークに三大ネットワークABCのドン・コスタ(Don Costa)のオーディションを受けに行きました。ポールは系列のABCパラマウント・レコードと契約し、"ダイアナ(DIANA)"のビッグ・ヒット"を放ちます。58年"君は我が運命(YOU ARE MY DESTINY)"、"クレイジー・ラヴ(CRAZY LOVE)"、"ピティ・ピティ(PITY, PITY)"をはじめヒットを連発しました。 その後人気が落ち始め61年は"涙のダンス(DANCE ON LITTLE GIRL)"がトップ10の10位に入るのがやっとでした。これを機会にRCAビクターに移籍をします。61年"愛してほしいの ( LOVE ME WARM AND TENDER )"、62年"ギターとワインで忘れたい(A STEEL GUITAR AND A GLASS OF WINE)"で再びヒット・チャートに戻って来ます。また映画「史上最大の作戦(THE LONGEST DAY)」のテーマ・ソングを自作自演(映画音楽はモーリス・ジャール(Maurice Jarre))し、活躍の場を広げます。 イタリアではニール・セダカ(A,NEIL SEDA)と共に多くのイタリア語カヴァー曲を出し(※)た実績が認められ、アンカは第14回サンレモ音楽祭に"太陽の中の恋(Ogni volta)"をイタリア語で歌いました。外人歌手の中では断トツの年間ランキング13位(週間チャート第2位)となり、実績を買われ、68年のサンレモ音楽祭には"狂った蝶々(La farfalla impazzita)"で再び出場しました。 69年彼の生涯を決定づけることが起きます。フランスのクロード・フランソワ(Claude François)が自作自演した"Comme d'habitude"に英語の全く別の詩をつけ"マイ・ウェイ(My way)"としてフランク・シナトラ(FRANK SINATRA)に提供し「世界一カヴァーされた曲」としてヒットしました。 ただこの曲は色々な伝説を呼び、シナトラの引退を思い留まらすためとか、復帰を祝うためとか言われていますが、実際のシナトラの一時引退、復帰の時期と異なっており、ナンバー・ワン・ヒット"夜のストレンジャー(STRANGERS IN THE NIGHT)"以来の大ヒットと、如何にもシナトラの波乱に富んだ人生を暗示する内容だった為と思われます。 アンカもこの"マイ・ウェイ"を財産に大人の息の長い歌手として活動を続けて行きます。
所属レコード会社は57~61年 ABC PARAMOUNT, 61~69年 RCA VICTOR, 70年 CBS, 71~73年 BUDDAH, 73~77年 UNITED ARTISTS
ポール・アンカの国内盤(抜粋) SS-1434 (1964年5月 VICTOR - 日本ビクター) 太陽の中の恋 (OGNI VOLTA) ポール・アンカ (PAUL ANKA (vm=ca))/ロビー・フェランテ (ROBY FERRANTE (vm))
SS-1434 CP-1137
CP-1137 (1964年5月 VICTOR - 日本ビクター) 17cm CP 3.太陽の中の恋 (OGNI VOLTA)
SHP-5344 (1964年9月 VICTOR - 日本ビクター) 30cm LP 12.太陽の中の恋 (OGNI VOLTA)
SHP-5344 SHP-5497
SHP-5497 (1965年12月 VICTOR - 日本ビクター) 30cm LP 12.太陽の中の恋 (OGNI VOLTA)
この間、「太陽」シリーズのコンピ盤、ポール・アンカの「ベスト盤」に"太陽の中の恋"が収録されています (掲載省略)
BVCM-37063~72 (2000年3月23日 RCA -BMGファンハウス) 10CD Box 3-19.太陽の中の恋 (OGNI VOLTA)
BVCM-37063~72
※イタリアではニール・セダカ(A,NEIL SEDA)と共に多くのイタリア語カヴァー曲を出しています。 NL-43040 (1979年RCA - RCA ITALIANA) 30cm LP I GRANDI SUCCESSI ITALIANI DI PAUL ANKA & NEIL SEDAKA お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.06.04 09:07:42
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