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カテゴリ:サンレモの歌手たち
グループ(バンド)はメンバーの入替り、バンド間の複雑な人間関係があり、後回しにしてきましたがそろそろ手を付けることにしました。その辺で歌謡・ポップス歌手達ほど知識がありません。宜しく教えを請うところです。ただし、「知らなきゃ書くな!」的なコメントはご免蒙ります。
★エキペ84 (compl) Equipe 84 1962年イタリアのリヴァプールと言われたモデナ(Modena)でジョヴァニ・レオーニ(I Giovani Leoni)とパオロ&ガッティ(Paolo & I Gatti)という二つのバンドが合併して生まれました。
○メンバー構成 ●ヴォーカル、ギター、キー・ボード、リーダー:マウリツィオ・ヴァンデッリ(Maurizio Vandelli) 1963-1978: voce solista, chitarra, tastiere ◆キー・ボード:ダリオ・バルダン・ベンボ(Dario Baldan Bembo) 1970-1972: tastiere→トーマス・ガリアルドーネ(Thomas Gagliardone) 1972-1978 tastiere:パオロ・ピゴッツィ(Paolo Pigozzi)1985 pianoforte, tastiere:ロレンツォ・ランチョッティ(Lorenzo Lanciotti) 2005-2012 Tastiere, pianoforte e voce ●ベース:ヴィクトール・ソリアーニ(Victor Sogliani) 1963-1978 e 1984-1995 voce, basso:ロベルト・ポルトロニエリ(Roberto Poltronieri)1996-2005 basso→ ジュリアーノ・デ・レオナルディス(Giuliano De Leonardis) 2005-2012 Basso ●ドラムス:アルフィオ・カンタレッラ(Alfio Cantarella) 1963-1970 e 1973-1976) batteria→ マイク・シェプストン(Mike Shepstone) 1970 batteria → フランツ・デ・チョッチョ(Franz Di Cioccio) 1970-1971 batteria → ルッジェロ・ステファーニ(Ruggero Stefani) 1972 batteria: パオロ・シャーニ(Paolo Siani) 1976-1977 batteria:アンドレア・マルテッラ(Andrea Martella) 2009-2012Batteria ●ギター:フランコ・チェッカレッリ(Franco Ceccarelli) 1963-1970 e 1984-2012 voce, chitarra ◆ギター:トニー・ミオーネ(Tony Mione) 2005-2012) Voce solista e cori, Chitarre ※1971年はヌオーヴァ・エキペ84 (NUOVA EQUIPE 84)名を使った。
バンドはモデナ年生まれました。1962年に2つのローカル・バンドのジョヴァンニ・レオーニ(i Giovani Leoni)とパオロ&ガッティ(Paolo & i Gatti)が合体しました。1957年初頭にビクトール・アドルフォ・マリア・ソリアーニ(Victor Adolfo Maria Sogliani) とピエール・ァッリ(Pier Farri) はハリケーンズ(Hurricanes)と呼ばれるバンドで演奏していました、いくつかの変遷を経てティグリ(Le Tigri)に名前を変更、このバンドのメンバーはギターとヴォーカルのマウリツィオ・ヴァンデッリ(Maurizio Vandelli)、ベースのビクトール・ソギアーニ(Victor Sogliani)、ドラムスがピエルルイジ・"ピエール"ファッリ(Pierluigi "Pier" Farri)に、ビクトールの妹もギターで参加していました。 その後バンド活動を続けながら、絶えずメンバー交代が行われ、64年秋の時点で在籍している4人でエキペ84のバンド名で活動することにしました。マウリツィオ・ヴァンデッリ(Maurizio Vandelli)、ヴィクトール・ソリアーニ(Victor Sogliani)、アルフィオ・カンタレッラ(Alfio Cantarella)、フランコ・チェッカレッリ(Franco Ceccarelli)の4人です。バンド名は色々候補があったようですが、ドラムスだったピエール・ファッリが4人の年齢合計が84才だったところからつけられました。 カラヴェルという小さなレコード会社からモデナのセリエAのサッカー・チームのテーマ曲"Canarino va"、B面は"Liberi d'amare"を歌ったシングル盤でデビューしました。レコード・セール スとしては失敗でしたが、ヴェデッテ(VEDETTE)のオーナーで楽団指揮者のアアルマンド・シャーシァの目にとまり、エキペ84はヴェデッテと最終的にレコード契約を結びました。 ヴェデッテからデビューする時点で、ベースのヴィクトールが兵役に就かねばならず、急慮モディナ出身のロマーノ・モランディ(Romano Morandi,)を代役とし"Papà e mammà"とローリング・ストーンズの"テル・ミー(Tell me)のカヴァー曲"Quel che ti ho dato"を録音しました。 ヴェデッテのデビュー・シングルが初ヒットの年間ランク74位になった"テル・ミー(Quel che ti ho dato - Tell me))"、2枚目がムーディー・ブルースのカヴァー曲で同80位"ゴ-・ナウ!(Ora puoi tornare - Go now)"となり、3枚目のシングル盤は65年6月に行われた第13回ナポリ音楽祭出場曲の"終り夜(NOTTE SENZA FINE)"で、(きっと)ナポリの女性歌手ピーナ・ラマーラ (PINA LAMARA)のパートナーを歌い、入賞しませんでしたが評判となり年間ランク81位になりました。ナポリ音楽祭にロック・バンドが登場するという事はかなり衝撃的な出来事でした。"タランティラ・パワー"としてナポリ出身のミュージシャンが活躍することなど、当時は想像もできませんでした。 エキペ84はこうして66年になるまでにヴェデッテで5枚のシングル盤を出し、6枚目で66年サンレモ音楽祭出場曲"君を求めて(UN GIORNO TU MI CERCHERA)"で北欧系ロックバンド、レネゲイズ(THE RENEGADES)をパートナーとして歌いますが、まだまだロックが一般的ではなく、マイナー・レーベルの悲ししさ入賞できませんでした。 彼らに目を付けたのが、リコルディの辣腕芸術監督ヴィンチェンツォ・ミコッチ(Vincenzo Micocci)でした。彼は若者の志向はロックでバントかこれから主流になることを感じており、サンレモ音楽祭のあと、すぐにエキペ84をリコルディに引き抜きました。 エキペ84はその期待にこたえ、実力をすぐさま発揮します。66年年間ランク第5位のメガ・ヒット、シェール(CHE'R)の"バン・バン(BANG BANG)"のイタリア語カヴァーを出しました。そればかりでなく66年カンタジーロのジローネCの優勝曲、同17位"恋がいっぱい(Io ho in mente te - You were on my mind)"、同18位"ステイ(Resta - Stay)" という成績を残しましました。
エキペ84の国内盤 HIT-1407 (1967年2月20日 SEVEN SEAS - キング) 風は知っていた ()AUSCHWITZ/君を求めて [英] (WANNA PRAY - UN GIORNO TU MI CERCHERAI [E])
HIT-1407 SR- 176
SR- 176 (1968年5月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP ヒット・パレード・イン・イタリー第1集 (HIT PAREDE IN ITALY Vol.1)
SR- 313~5 (1968年5月10日 SEVEN SEAS - キング) 30cm 3LP Boxカンツォーネ・スター大名鑑 (PANORAMA DI CANTANTI)
SR- 313~5
エキペ84 2は1971年サンレモ音楽祭の後に続きます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.10.16 08:58:30
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