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カテゴリ:サンレモの歌手たち
★アル・バーノ (vm) Al Bano
本名アルバーノ・カリッジ(Albano Carrisi)1943年5月20日長靴の踵の真ん中あたりにある町チェリッロ・サン・マルコ(Cellino San Marco)生、自作自演歌手、俳優。 芸名はアル・バーノ、アルバーノを使い、本名アルバーノ・カリッジを使用した時代もありました。妻ロミナ・パワー(Romina Power)とデュエット・チームを作り75年代から95年までアル・バーノ&ロミナ・パワーとして活動をしていました。 3C・006-17750 所属レコード会社:Fantasy, La voce del padrone, EMI Italiana, Warner Music Germany, Edel Music, Al Bano Carrisi Production SAS サンレモ音楽祭出場14回:1968年9位、71年入賞、74年13位、82年第2位*、84年優勝*、87年第3位*、89年第3位*、91年11位*、96年7位、97年14位、99年6位、2007年第2位、09年入賞、11年第3位(*はアル・バーノ&ロミナ・パワーとして)、17年参加 サンレモ音楽祭出品9曲:上記出場曲の内下線の8曲と76年ロミナ・パワー参加曲“人形のねがい(NON DUE)” 前回は1971年サンレモ音楽祭に“愛の舗道 (13, storia d'oggi)”で出場し、入賞したところまででした。今回はその後、71年の話から始まります。サンレモ入賞曲“愛の舗道”は71年年間ヒット・ランク39位となり成功を収めました。 次に出したシングルは夏のディスク出場曲“夜の腕に眠る太陽”でした。本選に進みましたが、決勝戦には出場できず、年間ヒット・ランクも96位止まりでした。 3C・006-17750 (1971年4月 V.d.P – EMI Italiana) E Il Sole Dorme Tra Le Braccia Della Notte (夜の腕に眠る太陽)/Umiltà (ある日) ※ジャケット画像は顔写真画像をご参照 ディープ・サウス、長靴の踵の真ん中あたりにあるチェリッロ・サン・マルコ出身のアル・バーノがナポリターナの名曲を3枚のシングル盤にして発売しました。何故か3枚目がオデオン・レーベルを使っています。 3C・006-17780 (1971年 V.d.P – EMI Italiana) 'Na Sera 'E Maggio (五月の宵)/ Anema e Core (アネマ・エ・コーレ) 3C・006-17780 3C・006-17781 3C・006-17781 (1971年 V.d.P – EMI Italiana) Core 'Ngrato (カタリー)/O marenariello (舟人の歌) 3C・006-17782 (1971年 Odeon – EMI Italiana) 'O Sole Mio (オー・ソレ・ミオ)/ Guapparia (グァッパリア) 3C・006-17782 3C・006-17784 3C・006-17784 (1971年9月 V.d.P – EMI Italiana) Mamma Rosa (マンマ・ローザ)/La Zappa Picca Pane Pappa (パンと鍬) 71年ヴェネチア金のゴンドラに“マンマ・ローザ”で出場しています。これは英国のクリス・ファーロウ(Chris Farlowe)のカヴァーです。 11月に6枚目のアルバム「1972」を出しました。2月のサンレモ音楽祭入賞曲“(愛なき舗道”以降の曲を集めていますが大半は彼自身が曲作りに関わっています。“パンと鍬”はアル・バーノが15才の時に作った曲。“こんなに愛し合って”はレナート・ラシェル(Renato Rascel)が作り、ラシェル自身が歌いヒットさせた曲で、このカヴァーもしています。 3C・062-17794 (1971年11月 V.d.P – EMI Italiana) 1972 1.Mezzanotte D'Amore (愛の真夜中) 2.Prima Di Dormire (寝る前に) 3.Il Prato Dell'Amore (愛の草原) 4.Umiltà (ある日) 5.La Zappa Picca Pane Pappa (パンと鍬) 6.Il Somaro (ロバ) 7.E Il Sole Dorme Tra Le Braccia Della Notte (夜の腕に眠る太陽) 8.Evie (いとしのイービー) 9.Mezzo Cuore (心の半分で) 10.Vogliamoci Tanto Bene (こんなに愛し合って) 11.Mamma Rosa (マンマ・ローザ) 12.13' Storia D'Oggi (愛なき舗道) 3C・062-17794 3C・006-18000 3C・006-18000 (1971年12月 V.d.P – EMI Italiana) La Casa Dell'Amore/Mezzo Cuore (心の半分で) 年末のカンツォニッシマには第1回戦で“愛なき舗道”、第2回戦で“太陽のある限り”、第3回戦で新曲“La Casa Dell'Amore”を歌いましたが敗退します。 72年1枚目のシングルはニュー・シーカーズ(New Seekers)がポリドール移籍第1弾のシングル“Good Old Fashioned Music”は失敗、アル・パーノのカヴァーも失敗です。B面は弟のコチス(Kocis)、奥さんのロミナ・パワー(Romina Power)と歌った曲です。 3C・006-18001 (1972年4月 V.d.P – EMI Italiana) Taca, taca, banda! (GOOD OLD FASHIONED MUSIC) /Notti Di Seta 3C・006-18001 3C・006-18002 3C・006-18002 (1972年 V.d.P – EMI Italiana) Nel Mondo Pulito Dei Fiori/Prima Di Dormire (寝る前に) 秋のヴェネチア金のゴンドラへ“Nel Mondo Pulito Dei Fiori”で出場しました。72年は年間ヒット・ランクに入る曲は出せませんでした。 73年プライベートでは第二子ヤリ・マルコ(Yari Marco)が生まれました。4月に夏のディスクに“La Canzone Di Maria”を歌い5位になってまいす。レコード番号3C・006-18000番台にのり、アル・バーノの発売時期がレコード番号順でなくなったようです。 3C・006-18013 (1973年4月 V.d.P – EMI Italiana) La Canzone Di Maria "Un Disco per l'Estate 1973" /Risveglio 3C・006-18013 3C・006-18012 3C・006-18012 (1973年 V.d.P – EMI Italiana) Addio Alla Madre (Cavalleria Rusticana 母上よ、さらば)/Aria Te Sciroccu 年末に出すアルバム「アンソロジア」で初めて挑戦したオペラのアリア曲の内からカヴァレリア・ルスティカーナの“母上よ、さらば”がシングル・カットされました。 12月「アンソロジア」という2枚組のアルバムを出しています。タイトル通り彼のアンソリジーで、新たにオペラのアリアをレパートリーに入れたものでした。 3C・154-18014~5 (1974年 V.d.P – EMI Italiana) 2LP Antologia Antologia 1 1-1.Addio Alla Madre (Cavalleria Rusticana 母上よ、さらば) 1-2.E Lucevan Le Stelle (Tosca 星も光りぬ) 1-3.Una Furtiva Lacrima (Elisir D'Amore 人知れぬ涙) 1-4.Un Di' All'Azzurro Spazio (Andrea Chenier ある日青空をながめて) 1-5.Siciliana (Cavalleria Rusticana シチリアーナ 「おゝ、ローラ」) 1-6.Vesti La Giubba (Pagliacci 衣裳をつけろ) Antologia 2 1-7.La Zappa Picca Pane Pappa (パンと鍬) 1-8.Simpatia Te Core 1-9.Aria Te Sciroccu 1-10.Mieru, Mieru 1-11.La Pulice Antologia 3 2-1.La Strada (Che Mi Conduce A Te) (遠い街角) 2-2.Io di notte (夜の私) 2-3.Caro, Caro Amore (カロ・カロ・アモーレ) 2-4.Nel Sole (太陽のある限り) 2-5.Quel Poco Che Ho (君のための僕) 2-6.Il Ragazzo Che Sorride (微笑む少年) Antologia 4 2-7.La Canzone Di Maria 2-8.Risveglio 2-9.Storia Di Noi Due 2-10.Notti Di Seta [con Romina Power, Taryn Power e Kocis (Franco Carrisi)] 2-11.Febbre 2-12.In Controluce (逆光の中で) 3C・154-18014~5 3C・006-18003 3C・006-18003 (1973年12月 V.d.P – EMI Italiana) Storia Di Noi Due / Lettera Per Te (君への手紙) 12月、年末恒例カンツォニッシマのフィナーレに歌った“Storia Di Noi Due”のシングル盤を出しました。カンツォニッシマには“La canzone di Maria”や“Il Ragazzo Che Sorride (微笑む少年)”も歌ったようです 74年サンレモ音楽祭に“逆光の中で”を歌い入賞します。レコード番号からすると73年に出場する予定だったのが出来ず、74年になったのではと思われます。 3C・006-18004 (1974年3月 V.d.P – EMI Italiana) In Controluce (逆光の中で)/ Angeli Senza Paradiso (楽園なき天使) 3C・006-18004 3C・006-18060 3C・006-18060 (1974年 V.d.P – EMI Italiana) Angeli di strada/Mieru Mieru 74年の時期が判りませんがシングル盤“Angeli di strada”を出し、メジャーデビューしたEMIイタリアーナを去り、奥さんのロミナ・パワーと自分たちの会社リブラ(Libra)を設立、独立しました。レコードの発売は75年から始めました。 さてこの後20年、アル・バーノ&ロミナ・パワーとして夫婦のデュオ・チームで活動をするのですが、その話をする前に、ロミナ・パワーのソロ時代のことから始めなければなりません。ロミナ・パワーは76年ソロ歌手としてサンレモ音楽祭に出場し、“人形のねがい(Noi due)”で参加曲になっています。1976年サンレモ音楽祭の後にロミナ・パワー 1として彼女の紹介をして1982年サンレモ音楽祭の後にアル・バーノ&ロミナ・パワーとしてご紹介したいと思います。次回はロミナ・パワーの生い立ちとソロ歌手時代からいたしましょう。ご期待ください。 アル・バーノの国内盤 OP-80394 (1972年1月 25日 ODEON - 東芝音楽工業) 30cmLPパリは霧にぬれて/愛と悲しみの映画主題曲集 7.アヴェ・マリア(AVE MARIA) OP-80394 OR- 2982 OR- 2982 (1972年4月 ODEON -東芝音楽工業) アヴェ・マリア (AVE MARIA) [アル・バーノ]/セレナーデ (SERENADE) [ロミナ・パワー (ROMINA POWER)] EOP-80579 (1972年8月25日 ODEON - 東芝音楽工業) 30cmLPアル・バーノ'72 (AL BANO 1972) 1.愛の真夜中 (MEZZANOTTE D'AMORE) 2.寝る前に (PRIMA DI DORMIRE) 3.愛の草原 (IL PRATO DELL'AMORE) 4.ある日 (UMILTA') 5.パンと鍬 (LA ZAPPA PICCA PANE PAPPA) 6.ロバ (IL SOMARO) 7.夜の腕に眠る太陽 (E IL SOLE DORME TRA LE BRACCIA DELLA NOTTE) 8.いとしのイービー (EVIE) 9.心の半分で (MEZZO CUORE) 10.こんなに愛し合って (VOGLIAMOCI TANTO BENE) 11.マンマ・ローザ (MAMMA ROSA) 12.愛なき舗道 (13, STORIA D'OGGI) EOP-80579 OGK- 1003~4 OGK- 1003~4 (1973年9月 1日 ODEON - 学習研究社(制作東芝音楽工業)) 30cm 2LPTRAVEL IN POPS 2 彼女に告げてよ/わが心のアランフェス (TRAVEL IN POPS 2・DICITENCELLO BUIE/ARANJUEZ, MON AMOUR) 1-1.オー・ソレ・ミオ ('O SOLE MIO) 3.愛の垣根 (LA SIEPE) アル・バーノ&ロミナ・パワー 1(アル・バーノ 4、ロミナ・パワー 2)は1982年サンレモ音楽祭の後になります お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.08.08 08:40:05
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