|
カテゴリ:サンレモの歌手たち
★ビ-ンズ、{イ} Beans、{I} シチリア島カターニャ(Catania)出身のメンバーが1967年に結成し、現在も活動を続けるポップ・バンド。
活動期間:1969年 – 現在 所属レコード会社:ARC, CGD, La Ciminiera, DV More Record, DiscoBoom サンレモ音楽祭出場1回:1978年 公式サイト:
構成メンバー [・]印結成メンバー、[→]交代メンバー、太字:サンレモ音楽祭出場メンバー ・アルマンド・シモーラ (Armando Simola): ソロ・ヴォーカル (在籍 1967-1969年) →サルヴァトーレ・トロヴァート (Salvatore Trovato): ソロ・ヴォーカル(在籍1969-1972年) →フランコ・モルジャ (Franco Morgia) 本名フランシスコ・・モルジャ(Francesco Morgia) ソロ・ヴォーカル、ギター (在籍1972-1979年) →カルメロ・モルジャ (Carmelo Morgia) ソロ・ヴォーカル、ギター (在籍1979年以降)
・ジュゼッペ・ルッソ (Giuseppe Russo) ギター (在籍1967-1972年) →フランコ・パナスチャ (Frnco Panascia) ギター、コーラス (在籍1972年以降) →ピッポ・グリッロ (Pippo Grillo) 本名ジュゼッペ・グリッロ(Giuseppe Grillo) ギター、コーラス (在籍1972年以降)
・ピエルパオロ・クリスタルディ (Pierpaolo Cristaldi) ドラムス (在籍 1967年以降)
・トニー・ランノ (Tony Ranno) 本名アントニオ・ランノ (Antonio Ranno) ベース、コーラス(在籍 1967年以降)
・ジーノ・フィノッキアーロ (Gino Finocchiaro) 本名ルイジ・フィノッキアーロ (Luigi Finocchiaro) キーボード、コーラス(在籍1969 -1979年) →ガエターノ・ココ (Gaetano Coco) キーボード、コーラス(在籍1979 -1989年) →アレックス・マーリ (Alex Magrì) キーボード、コーラス(在籍1989 - 2003年)
マルリツィオ・クリスタルディ (Maurizio Cristaldi) パーカッション、コーラス(在籍2006年) サルヴォ・フィノッキャーロ (Salvo Finocchiaro) キーボード、コーラス(在籍2006年)
1967年シチリアの都市カターニャ(Catania)でアルマンド・シモーラ、ジュゼッペ・ルッソ、・ピエルパオロ・クリスタルディ、トニー・ランノことアントニオ・ランノ、ジーノ・フィノッキアーロという5人の若者がバンドを結成しました。
彼らのバンド名ビーンズ(豆)の由来とデビューするまでの紆余曲折もよく判っておりません。
69年RCAイタリアーナのライター兼プロデューサ、更にマルチ・ミュージシャン兄弟、日本では「アラン・ドロンのゾロ」のサントラ盤で歌っているオリバー・オニオンズ(Oliver Onions)で知られているグイド&マウリツィオ・デ・アンジェリス(Guido De Angelis e Maurizio De Angelis)に認められRCAイタリアーナの新人育成レーベル、アーク(ARC)からプロコール・ハルム(Procol Harum)の“ソルティ・ドッグ”でレコード・デビューします。
AN-4190 (1969年9年 ARC – RCA Italiana) Un Marinaio (A Salty Dog) (ソルティ・ドッグ) /Occhi Buoni [come The Beans] AN-4190
しかしビーンズは1枚のシングル盤がでただけで、皆から忘れ去れてしまいます。
デビュー前後にソロ・ヴォーカルのアルマンド・シモーラがサルヴァトーレ・トロヴァートに交代します。更に72年そのサルヴァトーレがフランコ・モルジャに、ジュゼッペ・ルッソが脱退し、フランコ・パナスチャとピッポ・グリッロの二人ギター体制の6人編成バンドになります。
ビーンズの運が開けたのは同郷のカンタウトゥーリ、ジャンニ・ベッラ(Gianni Bella)と出会えたことでした。彼はマルチェラ(Marcella Bella)の5才年上の兄で、マルチェラとほぼ同時期にミラノに移り、マルチェラの曲を作り彼女が有名になるとともに名前を上げていました。
ジャンニも74年にカンタウトゥーリとしてデビューし、CGDのプロデューサーの仕事もしていました。彼はナポリ生まれで20世紀初頭の俳優、カンタウトゥーリであるアルマンド・ジル(Armando Gill)の名曲“雨のように (1918年出版)”をリヴァイヴァルさせることにしました。
ビーンズの再デビュー曲は50万枚以上売れ、76年年間ヒット・ランク24位の特大ヒットでした。
3634(CGD) (1975年 CGD – CBS Sugar) Come Pioveva (雨のように)/Io La Conosco 0630-19238・9 (1997年 CGD East West – Warner Music Manufacturing Europe) CDs Come Pioveva (雨のように)/Io La Conosco 3634(CGD) 0630-19238・9
デビュー間もないのに早速ファーストアルバムが作られました。新人ながらカヴァー曲はデビューの“雨のように”とビートルズ(The Beatls)の“ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド”のみ、他はオリジナルで5曲をジャンニ・ベッラと兄弟のアントニオ・ベッラ(Antonio Bella)が提供しています。
CGD-81176 (1975年 CGD – CBS Sugar) Come Pioveva LSM-1313 (1975年 Music A – CGD Messaggerie Musicali) Come Pioveva 1.Come Pioveva (雨のように) 2.Peana 3.Love Is Illusion 4.Io La Conosco 5.Se Riuscirai 6.Tu Nonostante 7.Lei Nella Mia Anima 8.Biancaneve Balla A Ore 9.With A Little Help From My Friend (ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド) CGD-81176 LSM-1313
ビーンズのCGD第2弾のシングルはジャンニとアントニオ・ベッラが共作した“Sto Piangendo”でした。前作の超特大のヒットではありませんが、週間ランキング最高14位(在位20週間)の小ヒットながら長くランクされる成功作でした。
4530(CGD) (1976年 CGD – CBS Sugar): Sto Piangendo/Vuol Dire Che Ti Amo 4530(CGD) CGD-81732 CGD-81732 (1976年 CGD – CBS Sugar) Sto Piangendo 1.Sto Piangendo 2....E Vui Durmiti Ancora!... (寝もやらず) 3.With A Little Help From My Friends (ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド) 4.Un'Anima Tra Le Mani (愛の魂) 5.Tu Non Sai 6.Come Pioveva (雨のように) 7.Vuol Dire Che Ti Amo 8.Io La Conosco 9.Lei Nella Mia Anima 10.Se Riuscirai
新人バンドにしては異例の早さでセカンド・アルバム「Sto Piangendo」が出ます。ただ多くのレパートリー曲を持っているわけでなく、ファースト・アルバムから5曲を再録しています。セカンド・シングルの2曲に“シチリアの朝の歌”の別名を持つ“寝もやらず”、ドン・マリノ・バレット・ジュニア(Don Marino Barreto Junior)が60年代初めにヒットさせ、64年にロークス(The Rokes)がリバイバルさせた後は、ロック・バンド達が締めのスロー・バラードとして使った“愛の魂”とベッラ兄弟の2曲を加えています。
77年はシングル盤“Cara”1枚だけの発売でした。週間ランキング最高16位(在位7週間)の小ヒットでした。この年は初めての海外コンサート、カナダ、アメリカ、南米の長期ツアーに出ています。
5313(CGD) (1977年 CGD – CBS Sugar): Cara/Se Mi Lasci, Donna Mia 5313(CGD)
これらの実績で78年サンレモ音楽祭の出場が決まりました。ベッラ兄弟の“仲違い(なかたがい)”でしたが入賞することはできませんでした。サンレモ出場曲を入れたサード・アルバム「Soli (仲違い(なかたがい)」が出ましたが、この頃から思ったほどのヒットが出せなくなり、バンド内に軋轢が生じるようになります。
サンレモ出場メンバー(太字は結成メンバー) フランコ・モルジャ (Franco Morgia) ソロ・ヴォーカル、ギター (在籍1972-1979年) フランコ・パナスチャ (Frnco Panascia) ギター、コーラス (在籍1972年以降) ピッポ・グリッロ (Pippo Grillo) 本名ジュゼッペ・グリッロ(Giuseppe Grillo) ギター、コーラス (在籍1972年以降) ピエルパオロ・クリスタルディ (Pierpaolo Cristaldi) ドラムス (在籍 1967年以降) トニー・ランノ (Tony Ranno) 本名アントニオ・ランノ (Antonio Ranno) ベース、コーラス(在籍 1967年以降) ジーノ・フィノッキアーロ (Gino Finocchiaro) 本名ルイジ・フィノッキアーロ (Luigi Finocchiaro) キーボード、コーラス(在籍1969 -1979年)
CGD-10050 (1978年 CGD - CGD Messaggerie Musicali) Soli (仲違い(なかたがい)/Mi Mancherà CGD-10050 CGD-20037 CGD-20037 (1978年 CGD - CGD Messaggerie Musicali) Soli 1.Soli (仲違い(なかたがい)) 2.Anche Tu 3.Gita In Campagna 4.Cara 5.Mi Mancherà 6.E Tu Chi Sei 7.New York 8.Samba Di Un Amore 9.Estate '76
79年ソロ・ヴォーカルとギターのフランコ・モルジャが退団しカルメロ・モルジャに、キーボードとコーラスのジーノ・フィノッキアーロがガエターノ・ココに交代しました。ただその時期が不明で、79年1枚目のシングル“Un Altro Amore”の方はメンバーのしゃしんがのっていないのですが、2枚目の“Se”は5人が写っています。
CGD-10121 (1979年 CGD - CGD Messaggerie Musicali) Un Altro Amore/Lasciamoci CGD-10121 CGD-10224 CGD-10224 (1979年 CGD - CGD Messaggerie Musicali) Se/Chiusa
こうしてビーンズ第2期が終わります。多分その後にCGDの廉価盤シリーズ、レコード・バザールから編集ベスト盤「Il Meglio Dei Beans」が発売されたと思います。
RB-216 (1979年 Record Bazaar – CGD Messaggerie Musicali) Il Meglio Dei Beans 1.Come Pioveva (雨のように) 2.Se Mi Lasci Donna Mia 3.Sto Piangendo 4....E Vui Durmiti Ancora!... (寝もやらず) 5.Cara 6.Soli (仲違い(なかたがい)) 7.Un'Anima Tra Le Mani (愛の魂) 8.Mi Manchera 9.Samba Di Un Amore 10.Un Altro Amore RB-216
81年、ビーンズはジャンニ・ベッラと作った新レーベル、ラ・チミニエラ(La Ciminiera)で活動を再開します。
ビ-ンズの国内盤 GP- 566 (1978年5月 SEVEN SEAS - キング) 30cm LP第28回サン・レモ音楽祭 (FESTIVAL DI SAN REMO 1978) 10.仲違い(なかたがい) (SOLI)
GP- 566
ビ-ンズ 2は次回に続きます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.04.17 08:40:08
コメント(0) | コメントを書く
[サンレモの歌手たち] カテゴリの最新記事
|